祭りの楽しさって何でしょうかね、

神輿が町内を渡御していくのは祭りのハイライト、

でも、それだけじゃ人はこんなに集まりはしないのですよ、

昔から祭りは縁日と云われ露店がずらりと並んで客を喜ばせる

ことに腐心するんですね。

器物を売る者は地面にむしろを敷いて品物を並べる、あの寅さんよろしく

口上で人を集め、客の方は知らぬ間に惹きつけられて、気がつくと

その品物を手にしている、祭りというハレの日だからこそ成り立つ

商いなんですね。

食物を売る店は、盛大に湯気と匂いをあたりに撒き散らし客の好みを

迫ったりしてくる、つい、「ひとつおくれ!」なんて云ってしまう、

それもみんな祭りだからなんですよ。

その縁日で売られるモノにも時代が繁栄されて、今は縁日じゃなくても

町では何でも手に入るのですから露天商だってうかうかしてられませんですよ。

祭りには神社に参拝するというのが当たり前のことですが、お参りすると云っても

実は人それぞれにみんな違うのでして、ある者は団子にお参り、またある者は

植木屋の花にお参り、娘さんを連れてきた者はその娘さんにお参り、

芸者衆と一緒のオヤジは芸者衆にお参り、

ある者は神社の参拝を口実に泥酔し、女遊びにうつつを抜かす、

本当に参拝する者と、参拝をだしに使う者とが入り乱れて祭りは大繁盛するのですよ。

(当代島稲荷神社「宮神輿」)

祭りの神様は実に心が広くて、みんなひっくるめてお許しくださると勝手に思い込むのが

祭り大好きな庶民の考え方で、こんな祭りの形態を考え出した昔の人は、人間の本能を

きっと判っていたんでしょうね。

さてと、浦安三社例大祭もいよいよ最終日、

「今日で終わっちまうよ」

という惜しむ気分と、

「これで当分神輿が担げねぃ」という弾ける気分がほとばしって、あっちでもこっちでも

あの掛け声が乱れ飛ぶ、

「マエダ!・マエダ!・マエダ!」

実は浦安もあの大地震で大変な被災を受けましてね、

集まった多くの人たちの心の奥には

「負けてたまるか!」

という気力が充満しているんです。

若い父親は小さな我が子を肩に乗せ、ある者は天に届けと子を差し上げる、

「いいか、見ておけ!負けないとはこういうことだ」

とでもいうように、沢山の子供達が祭りの中の中心にいるんです。

以前の祭りとは明らかに違っています、

面と向かっては誰も口に出さなくても、その気持ちはヒシヒシと伝わって

きます。

「マエダ!・マエダ!・マエダ!」

もう声も擦れてしまった若者が叫んでいる。

後ろを振り向くな、

「マエダ!・マエダ!・マエダ!」

西から東へ流れる境川を行ったり来たりしながら、堀江の清流神社と

猫実の豊受神社を訪ね歩いています。

神社の周りは人・人・人、とても寄り付くこともできませんでね、

そうだ路地裏の弁天様をお参りしてこようと、大通りから狭い路地の中に

身を滑り込ませた時、明らかに違う祭り囃子が微かに聞こえてきたのです、

ゆったりとした太鼓の音がやけに心地いい、

人間にはゆったりとしたリズムが丁度いいとでもいうように

「テン・テン、テンツク・テン・・・」

路地の角を曲がると、世話役の老人たちとばったり、

「お前さん、見慣れぬ顔だね」

「はい、隣町からやってきた者でして」

「そうかい、まあ、いっぱいやってきな」

「いや、実は車できたものですから」

「車?自転車か・・・」

「いえ、自動車です」

「自動車ってバスか?」

なんだか話が噛み合わないのです、

浮かない顔の世話役は

「まあ、祭りだからいいじゃないかね」

湯飲み茶碗に一升瓶から並々と注がれてしまった、

手にしながら、話題を変えてみました、

ところで、あの祭り囃子はどちらの会のかたですかね、

「あれか、ありゃ隣の重の太鼓だな」

豊受様の境内で叩いているから行ってみるといい、と勧められ

「神様の御前で酒の匂いをさせてはまずいので、後ほどいただきにまいります」

と並々と注がれた湯飲み茶碗を置くと一礼して神社への小道を進むと、

目の前がいきなり境内の真ん中に出てしまったんです、

祭り衣装に身を整えた大勢の祭り人がずらりと並んで手招きしていたんです。

「早くそのカメラで撮ってくれよ、みんなじっと待ってて痺れを切らしちまってんだから」

何がなんだかわからないまま、チャッターを切ったのです。

ちゃんと映ってるかどうか確認して顔を上げると、そこは境川の辺りだったんです。

どうしたんだろう、夢をみていたのか、でも手には確かにお神酒の匂いが残って

いたんです。

まもなく宮入りの神輿が通る時間です、

狐に摘ままれたような気分で、来た道を戻ると、

お神酒所の壁に一枚の写真が飾られていた、

本殿の前でずらりと勢ぞろいした祭り人たちの姿です、

その横に、「昭和4年例大祭」と記されていた。

そして、その中の祭り人たちがニヤリと笑った気がしたのは

この町に入り浸った三日間がそうさせたのでしょうか・・・

「マエダ!・マエダ!・マエダ!」

若者達が絶叫しながら担ぐ神輿が目の前を通りすぎていく。

腕が千切れんばかりに祭り囃子の太鼓が鳴り響く。

「ああ、終わってしまう」

今年も沢山の人に出会った祭りが消えていく。

今に生きる人も、昔、この町で生きた人も、未来を背負った子供達も

みんなまた逢いましょう、

四年後ですよ、あの子供達もきっと大きく育っているでしょう、

もう一度、逢えるか判らない人生の最終コーナーの端っこで

じっと見つめていた祭り旅の途中です。

浦安の皆様、あたたかい持てない本当に有難うございました。

またお目にかかれる日を楽しみにしております。

感謝!感謝!感謝!

浦安の祭りを最後に見てから6年目の夏は

梅雨寒のなか町が静まり返っております。

四年に一度の決まり事も延期が続いています。

次の祭りは7年後?それとも8年後・・・・。