旅の途中

王子神社 「田楽舞」

浅草神社例大祭(三社祭)で今も舞われる「びんざさら舞い」が

あるのですが、

あの所作を観ていると、五穀豊穣を願う意味があるらしいのです。

田楽に端を発するとみられる 「びんざさら舞い」が残されている

ことで三社祭があの神輿の大騒ぎだけではないことの証のように

胸を張れる気がしているお祭狂いのおじさんが、同じ東京に

田楽舞いを奉納する例祭があると聞いたのですから胸がキュンと

なるではありませんか。

祭には農耕民族だった昔からの五穀豊穣の願いを込めた祭りや、

大漁祈願を願った海の人々の祭りがあり、

一方、人が集まって来て出来上がった都市部では収穫されるモノが無いため

いや、そもそも収穫祭という発想がないため、祭りの遣り方が農村部や

漁村部とは異なるのは当たり前のことでしてね、

特に夏場は、物が腐ったり、疫病が流行ったり、体が疲れ安いなんて

ことが続くと、新しい活力を神様に願うという目的が生まれたのでしょう、

それが夏祭りの厄払い、魔除け、邪霊祓いの祭として祇園祭として

全国に広まったもうひとつの祭りの遣り方なのでしょう。

祭りの起源を探すと、どうやら平安時代に大流行した 田楽 に行き着くのです、

その田楽にも 五穀豊穣を願うものと、魔除け、邪霊祓いを願うものがあったと

いうのです。

人の営みは千差万別、それぞれの生活の中で生まれた祭りもまた異なるのは

至極あたりまえなのですよ。

さて、本日は王子神社例大祭、しかし、この神社は宮神輿を持たないために

神輿渡御はやらないのです、しかしこの王子神社には奉納王子田楽が残されて

いると聞いたのですから、指折り数えてこの日を待ちわびておりました。

ギラギラと照りつける夏の陽は、定刻の16時30分になっても衰える

気配もありません、

まばらだった人の数もいよいよ始まるというと、参道の周りは人で

取り囲まれておりました。

どのような手順なのか、その仕草ひとつひとつが何を語り出すのか、

じっと見守ることの嬉しさでいっぱいになりました。

いよいよ神事が始まりました。

宮司が手に鑓を持った氏子代表を従えて、旧金輪寺跡で待つ

田楽舞い一行を迎えに行くところから始まりました。

鳥居前にやってきた田楽舞い一行を先導するのは、

いかめしい鎧に身を固めた三人の鎧武者、

露払い一名、四魔帰と呼ばれる武者ニ名で、

特に四魔帰武者は両腰に七本の大太刀を着け、

手には薙刀を持っている、明らかにその姿は魔を祓う

意味が込められている、

以前、房総千倉で行われた 白間津のささら踊り を

思い出しました。

田楽舞いの踊り手は穢れをもっとも嫌う存在なんです、

そのために地の霊を祓い、舞台となる四隅を足で踏みしめる所作に

その霊を払う意味が込められているのです。

田楽舞いの一行は鳥居の前で止まったまま、一歩も進もうとしません、

そこへ本殿で待つ宮司からの伝言を伝えに白丁の若者が手につぼめた傘を

持ってやってきます、

そして「どうぞお通りくだい」と声をかけると

待ち構えていた小童子たちが一斉に大声を張り上げ

「まだまだ」と白丁の若者を追い返す、

そのやり取りが延々と繰り返されるのです、その数は七度半、

つい先日茨城の祭りで出会った 船渡御は神輿を船に載せて沖合いの

所定の場所を七回半巡って港に戻ってくるという神事を見ておりましたが、

神事には七と半分という数字はきっと何らかの意味があるのでしょうね、

今度尋ねてみましょう。

いや、もしかしたら小童子に伝えるために何度も同じことを繰り返して

いるのでしょうか、そういえば、小童子たちも三回目あたりからは

その意味が飲み込めたらしく、大きな声で白丁の若者を追い払う仕草を

見事に演じ切ったのです。

小童子たちとの最後のやり取りの返事は「どうぞ」でした。

その合図を聞くと田楽舞一行が境内に入ってくる、

先頭は烏帽子型の被り、後の各三名は頭に花笠を被り、

それぞれ緑と紅の装束に分かれている。

どうやら陰陽の意味があるのだろうか、

白間津のささら踊りでは日天、月天と呼ばれた神の化身と

して存在したことと同じ意味があるのだろうか。

舞台下で中門口の踊りが始まった。

大太鼓ひとつに、七名の笛がゆったりとした音曲を奏でる、

舞台の上が、氏子連の鑓で祓われると、四魔帰武者が

舞台の四隅を足を踏みしめて魔霊を祓う仕草がいかに禊が

大切にされるかを物語っている。

舞台に上がった田楽舞い姿の美しさはどうだろう、

単調だけれど優雅な所作が日本人の本来の姿を現しているように

感じてならなかった。

この田楽舞いの主役はあくまでも子魔帰と呼ばれる神童たちである、

一番穢れの無い子供たちこそ神の前で踊ることが許される存在

だったことがすべての所作の中に克明に表されているのですね。

そして、この王子田楽舞いは明らかに、魔除けの願いを込めた神事だと

確信できました、

神童たちが被った花笠の赤い紙は魔除けの意味であり、

武者達の仕草もまた魔除けの所作であることを感じることができました。

王子田楽の番組は一番中門口から十二番子魔帰まで続きました。

あの白間津のささら踊りも十二番までの歌に合わせて踊るのですが、

田楽の中では、十二番までの踊りが昔からの仕来りだったのでしょうか、

今では、田楽舞い はほとんど忘れかけ、消えかけている日本の伝統文化

なのです、こうして、子供たちを通して続けられることの意味を

もう一度しっかりと受止めていないと、日本人の本当の姿はこの世から

消えてしまいかねません、

一度消えかけた王子田楽をもう一度立て直した王子神社の氏子の

みなさまにこころからの敬意と感謝を込めて手が痛くなるほど拍手を

送っていた祭り旅の途中です。

(2016年8月記す)

Categories: 日々

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2 Comments

  1. カメラアングルの巧みさと添え書きの適切さに感心してしまいました。それで田楽衆のみなさまにぜひ観ていただくようにと、こちら様のHPアドレスを全員にメール配信しました。ご苦心ありがとうございました!御礼。

    • 旅人 散人

      2017年7月20日 — 8:21 PM

      王子田楽衆代表M・Tさま
      少しでも王子田楽衆のみなさまにお役に立てるのであれば
      光栄でございます。
      古式ゆかしい伝統が末永く伝承されますことを祈っております。
      感謝!

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