上総国一之宮玉前神社には1200年もの昔から伝わる

神事上総十二社祭り、それはまるで神話の物語を表す

かのような壮大な絵巻を見るような祭りが今も繰り広げ

られているのです。

大同2年(807)創始で、1200年以上の歴史と伝統を誇ります、

と言われてもあまりのスケールの大きさに、このところ毎年

お訪ねしているのですが一度や二度の参拝ではとても全貌を

見ることは出来ないのです。

その神話の物語を手繰っていくと

山の神である鵜茅葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)が

海の神である玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)を見初め、

契りを結ばれたという場面に行き着くのです。

そしてお生まれになった神武天皇をはじめとする神々は、

海までつながっていると伝えられる井戸から水路を通って、

九十九里浜まで流れていかれました。

(睦沢鵜羽神社に幟が上がる)

その様は、龍の如しといわれ、元気な幼い神々は、海岸に着くや

はしゃいで大暴れをなさいます。

そこで、玉依姫をはじめとする御親族の神々は九十九里浜に幼い神々を

おいさめに向かわれました。

その様子を祭りに表現したと思われるのが上総十二社祭りで、

9月13日の例大祭では九十九里浜の釣ヶ崎海岸に神々が集うという

壮大な物語の神事が行われるのです。

13日の浜降り神事に先駆けて、9月10日に鵜羽神社で

鵜茅葺不合命が神輿に乗って、玉前神社の玉依姫命を訪ね

一年に一度の逢瀬の契りを結ぶという神事が執り行われると

お聞きしてこの日を待ちわびていたのです。

しかし、東京で仕事を済ませてから出かけると、鵜羽神社へは

夕方にならないと訪ねることができません。

(神輿の屋根から外された鳳凰は別々に運ばれてきます)

教えていただいた地図を頼りに睦沢町の鵜羽神社をお訪ねすると

幟がはためき、西日を正面から受ける神社には氏子世話人の

○○さんが留守居役でおられるだけでした。

お訊ねるすると朝出輿された二基の神輿は玉前神社へ向かわれ

ており、そのご八雲神社での神事を終えて一時間後くらいには

こちらに戻られるとのこと、

しばし、こちらで待たせていただきながら、言い伝えられている

伝承を聞かせていただいておりました。

御祭神は、

鵜茅葺不合命と、その父である彦火火出見命、母である豊玉姫命。

鵜羽神社のいきさつににはいろいろな言い伝えがあるらしく、

鵜の羽の寝床で育てられたから とか 玉依姫命を育てた豊玉姫が

乳母(うば)になるから鵜羽(うば)神社になった とか

中々、面白いお話を伺っておりましたよ。

そろそろ神輿が戻られる時刻になると近隣の子供達が集まってきます。

やがて、稲刈りの終わった田圃の向こうから歓声が聞こえてきます。

「お戻りになられましたよ」

若い禰宜さんが声をかけてくださった。

先駆けの子供達が走ってきます、二基の神輿の鳳凰は屋根から外され

手にした娘さんが走る、この鳳凰は金属ではなく木製なのだとか。

さあ、神輿が戻られます、白丁姿の氏子若衆が大汗をほとばせながら

駆け足で神社の階段を駆け上がる、

境内に入ると、本殿の周りを三周するのです、

あの玉前神社の宮入りもやはり神輿が本殿の周囲を駆け回るのですが

此処鵜羽神社も同じようなやり方なのですね。

本殿前で神輿は一気に差し上げられ、何度も何度も気勢があがるのです。

世話人さんから声が掛かる、

「神輿を入れるぞ」

神輿は本殿奥の所定の位置に運び込まれるのです、まさしく見事な

神輿宮入りでございます。

若宮、大宮二基の神輿が無事宮入りを済ませると、若頭の音頭で

独特の手締めで今年の神事は無事終わりました。

ここで世話人さんから

「氏子衆は幟降ろしに掛かってください」

先ほどまで風に揺れていた幟に若衆が取り付き、最初に若宮の幟が、

最後に大宮の幟が下ろされました。

神輿が納まり、幟が降ろされると、いつもの静かな睦沢町の姿に

戻っていくのですね。

朝から二基の神輿を担いで玉前神社、八雲神社を巡る10Kmの

道を駆け抜けるという一年の最も大切な神事を終えた氏子衆の顔には

安堵の喜びが溢れておりましたよ。

睦沢の鵜羽神社を後に、夕暮れの玉前神社に参拝、

こちらでは祭りの前の静寂が保たれておりました。

あと三日もすると、何千人もの人々が九十九里の海を目指して

走り回る浜降り祭が始まるのです。

(幟が下されるといつもの平穏な日常が現れるのです)