雨雲が筑波の峰を覆っている、

春雨にしては冷たすぎる雨、

どうやら桜から人を遠ざけてしまったらしい。

雨の日は桜の彩が落ち着きを見せてくれるのです、

足を止めたのは、微かに聞こえる子供らの声、

そうか、もう新学期が始まっているんだね。

その小学校の校庭には桜が咲き誇っている、

どうやら入学式にはその美しい花の姿で新たな子供達を

迎えてくれたのだろう。

かつて大人たちは、元気で育つように未来に希望を

持たせるように各学校に桜の木を植えたのです。

ここ筑波の地には学校の校庭に桜の木が沢山あるのです、

子供達が成長するように、桜の木も大きくなりました。

小学校は6年すると生徒は卒業していく、

やがて10年経ち、20年過ぎ、50年もすると校庭の桜は

見事な桜樹になっているのです、

自分の子がかつての親の母校に入学するとき、

子は勿論桜を意識し、そして親になった大人は、

懐かしさに涙するという。

桜は決して子供たちだけのためではなく、

繰り返し成長を続ける親と子に希望と夢を

与えてくれているのですね。

学校の先にまだ桜が続いていた、

引き込まれるようにその桜の下へ、

雨に濡れた参道を覆うように見事な紅枝垂れ桜三本、

性山寺とある。

学校の桜が子供たちの未来を示す希望の桜なら、

寺の門前の桜は死者への鎮魂の花だろうか、

人の姿のない参道を歩いていく、

筑波の峰を背景にあまりにも静か過ぎる桜の佇まいに

祈る意外に何も思い浮かばないのです。

もし、雨が降らなければこんな静寂は訪れなかった

だろう、

筑波には桜が似合う、

人恋しさを誘う桜が似合う、

どれほどそこに佇んでいたのだろうか、

振り返ると学校帰りの子供の声、

「○ちゃん、またあしたね!」

そうか、桜が希望を表しているのではない、

子供たちの笑顔が希望そのものだったんですよ、

桜が子供たちの笑顔を照らし出していた筑波桜旅の途中のこと。