10年間、村のお年寄りとお花見をするために通い続けた

この桜に、昨年はとうとう逢いにくることができませんでした。

桜に逢う事は勿論ですが、本当はこの枝垂れ桜を大切に守り続けて

おられる地元老人会の皆さんと一緒にいられることのほうが大切に

思えるから通い続けられた気がしています。

今年もキヌ子さんからの12回目の便りをいただきました、

そこに記してあったお花見の日づけに、今年も旅先から戻ることが

出来ませんでした。

一週間遅れのお花見は、誰も居なくなった夕暮れでした。

風が吹き、時々雪が舞い、まるで冬に戻ってしまった寒気の中で

あの桜は全く散ることなく優雅な姿を見せてくれておりました。

キヌ子さんにお電話をいれた、

電話の向こうからあの笑顔のままの元気な声が返ってきました。

「あれ、一年に一度お目にかかる七夕さんじゃないですか」

「昨年は来られなくて・・・」

「あら、奥様と一緒に来られたじゃないですか」

「いいえ、あれは一昨年ですよ」

「そうでしたか、なんだかつい昨日のような気がして・・・」

「皆さんお元気ですか」

「はい、元気でやっております」

もう80歳を超えた皆さんの顔を思い出しながら

胸がいっぱいになってしまいました。

今年はどうしたことか寒い日が続き、雨にたたられ

気持ちよくお花見が出来たのはたった一日だけだったとか、

「それでもネ、桜だけは変わらずに美しく咲いてくれましたよ」

「はい、今その桜の下におります、静かで美しい桜です・・・」

「よかった、観てくれたのですね」

心から喜んでくれるキヌ子さんにいつものあの言葉を

「お元気で、桜が咲いたらまた逢いましょうね」

誰も居ない桜の下でその麗しい姿を目に焼き付けると

その桜にも

「また花が咲いたら逢いましょう」

とお別れをする。

何時もなら想いを残して小生瀬集落へ下っていくのですが

今年は沓掛峠を越えてみようと初めての山路を登ってみる。

高見山の南面を越える峠は、平安時代の八幡太郎義家が

奥州征伐行く途中、この峠で馬の轡の手綱を樹にかけた

たところから「沓掛峠」の由来になったという伝説があるという。

南に開けた明るい斜面には多くのヤマザクラが

楚々とした花を風にそよがせている。

枝垂れ桜の美しさとこの国の人々が古来から賛美してきた

ヤマザクラのの美を同時に記憶に残すことができたのは、

この凍りつくような冷気が演出したことだったのかも

しれません。

何度も振り返りながら峠を下るとその道は大生瀬集落へと続いていた、

ここにも人知れず咲くアズマヒガン桜があるのです、

ああ、今年も変わらず静かなままの姿を見せてくれています。

桜が紡いでくれた人の縁をしみじみと感じながら桜を眺めつくしています。

あの老人の皆さんにはお目にかかれませんでしたが

桜と人を偲ぶ桜旅の途中でございます。