今や東京の下町の代表みたいになってしまった柴又から

さらに江戸川を遡った東京の突破ズレ、金町の葛西神社例大祭

でございます。

祭りになるとお囃子がやれ神田だ、浅草だ、深川だと鳴り響くんで

ありますが、その元締めなのが葛西囃子、江戸の下町の祭囃子は

此処葛西神社が発祥の地なのでありまして、そんな由緒ある神社の

祭りならさぞ賑やかに違いないと誰もが考えるのですが、

あにはからんや、これが昔の村の鎮守様のように、のどかで

まことに静かなものなんですよ。

最近の東京の祭りは、地元民の高齢化と若者達の祭り離れで

どこも青息吐息、神輿も地元だけでは担げないような状況が

続いているのですよ。

祭りは日本人の大切な心の文化なんですよ、アタシが声を張り上げて

祭り行脚に向かうのも、何とか祭りを残したいが為でございますよ。

まあ、愚痴を並べても何の得にもなりませんので、とりあえず

神社へ足をむけますかね。

もう季節は秋祭りだというのに、ギラギラと照りつける陽射しは

真夏もびっくりするほどの暑さに、体中から汗が噴出しますよ。

今年の葛西神社の例大祭は、宮神輿が出ませんので、余計に静かな

ものでしてね、

それでも数軒の露店からは焼ソバの焦げた匂いが祭り気分を

盛り上げてくれるのですよ。

子供達の集まっている輪の中では、猿廻しのお兄さんが

見事な演技を披露してくれておりましてね、

肝心のお猿さんの方はいたって優良児で、次から次と演技をこなして

拍手喝さい、でも拍手を受けて本当に嬉しいのかどうかは、

ニコリともしないのでわかりませんがね。

アタシは旅の途中の山の中でよく野生の猿に出くわすのですが、

猿ってヤツは目を合わせると、猛然と飛び掛ってくるのでして、

決して目をあわせないことにしているのですが、嗚呼、こちらの

猿君は目を合わせても知らん顔、なんだか籠の鳥、いやひも付きの猿は

自分の意思を表せないのかとちょっぴり哀しくなりましたよ。

猿の演技に見料千円を寄付して振り返ると、神楽殿から葛西囃子ならぬ

江戸里神楽の太鼓の音が聞こえてまいります。

下町のお祭りでは馴染みの松本源之助社中の里神楽が始まるようです。

神楽殿のまえではほんの一握りの見物人ではありますが、

そこはベテランの社中の舞の美しさに思わずため息をつくので

ございます。

里神楽というのは、笛、大拍子、長胴太鼓を3名が囃子、

仮面をつけた舞い方が無言で演じるのでありますよ。

大人というのは、その無言の神楽舞いを見つめながら

「これはどういう意味だろう」とか「あの老人は神様なのだろうか」

などと、頭で理解しようするのですよ、もうそれは楽しむどころか

試験勉強をさせられているような気分です。

ふと前を見ると、三歳くらいの男の子が、神楽の音に合わせて踊って

いるのですよ、顔を見ると、あのお面のように口をひん曲げて、

その気持ち良さそうなこと、そうでした、祭りは理屈や知識なんていう

ものを全て取っ払って酔いしれればよかったのですよ、

アタシは目の前の男の子から、そのことを教えられている気が

いたしました。

全ての演技が終わると、その子も盛大に見得を切ったのです、

勿論舞台の上の神楽舞もすばらしかったのですが、その男の子にも

惜しみなく拍手を送っておりました。

20分ほど歩いて駅のホームで電車を待っていると、

先ほどの男の子が爺ちゃんの背中でスヤスヤと眠っていました。

きっと疲れたのでしょうね、でも彼は夢の中であの神様と一緒に

踊り続けているのかもしれません。

爺ちゃんの背中ですやすやと眠るその子にそっと呟いておりました。

「君はいい子だね、神の子に違いない」と。

祭りの楽しみ方をまたひとつ教えられた祭り旅の途中のことでございます。

(2017年9月記す)