薪樵る鎌倉山の木垂る木を

  まつと汝がいはば恋ひつつやあらむ

   万葉集 巻十四 東歌 読み人知らず

防人として鎌倉に残していく恋人に、

きっと戻ってくると約して旅たった男を

彼女はどれほど待ち続けたのでしょうか・・・。

 知らざりし浦山風も梅が香は

  都に似たる春のあけぼの

         阿仏尼

藤原為家の側室となり為家の没後

相続をめぐり幕府に訴えるため鎌倉へ下った

阿仏尼は、その鎌倉で訴訟の結果を待たずに

没したと伝わっている。

その都から鎌倉への道中記と月影が谷での滞在記を記した

『十六夜日記』を残している。

彼女もまた鎌倉で待ち続けたひとりである。

頼朝の墓所を参った後、八幡宮を裏から境内へ歩を進めた、

八幡宮の参拝を終えたその女人(ひと)は

「あらっ!」と一言呟くと空を見上げた、

つられるように振り替えると

久し振りの夕焼けが既に始まってしまった。

由比ガ浜か逗子の渚橋あたりで「相模灘の夕陽」を眺める

つもりでしたのに、少し時間をとりすぎたようです。

そういえば、鎌倉八幡宮の夕陽は初めてかもしれない、

彼女がもし空を見上げなかった、

知らずに八幡宮の杜の中で今日の一番の彩を

見過ごしてしまったかもしれない。

「何て美しいのでしょう」

彼女は誰に問いかけるでもなく呟いた、

それは、自然に口をついた言霊のように響いたのです。

「お参りした神様の御褒美なのかしら」

「私はそのおこぼれをいただいたのですかね」

彼女はころころと声をあげて笑った。

その茜色が消えるまでのほんの僅かな時間が

なんだか永遠のように感じられた。

万葉集の防人の歌に、彼女はあっけらかんと応えた

「何時帰るかわからない人を

黙って待つなんて信じられない」

ああ、時代は21世紀でしたね、

「お腹が空いたので食事に行きます」

と言い残して彼女は小町通りに消えた。

そうでした、此処は鎌倉という名の

現代だったんです・・・