ふっと思い出して訪ねた街です。

東京でも今は若者の街の代表のように、あるとあらゆる

文化に溢れかえった街、

古着の街、カフェの街、演劇の街、親子で楽しめる街、

阿波踊りもやるし、知人が写真展や、創作展をやるたびに

訪ねている街なので、珍しくもありませんし、

近頃は、あの雑踏感についていけなくなって、つい敬遠してしまう街

でもあるのです。

ふっと思い出したというのは、もう半世紀も前にこの街を訪ねていた

ことなんです。

そんな昔のことをなぜ覚えていたのか、

50年以上前というとあの東京オリンピックより前ですよ、

アタシ等もまだ世間に汚れていなかった高校生でした、

お金のない学生のその頃の夏休みといえば、海で一日中甲羅干し、

その海の街で、夏の間中、ラーメン屋の二階を一部屋借り切って

悪友達と二ヶ月もその海の街で過ごしていたのです。

民宿なんて洒落た宿などありませんでしょ、

ラーメン屋の二階の八畳の一部屋を親父に頼んで

借りてもらったんですよ、きっと毎日ふらふら都会に出歩いて

悪い遊びを覚えるより、田舎の海の町へ詰め込んでおけば

安心と踏んだのでしょうね。

「起きなさいよ」

と毎朝下のおばちゃんから声がかかる、

何しろ朝昼晩まかないつきの合宿みたいな生活なんですよ、

その時はそのおばちゃんの存在があまりわかっていなかった

のですが、後で知ったことは、そのおばちゃんと親父は

知り合いで、あたし等の監視役でもあったのですね。

二階で内緒でタバコを吸ってると、

いきなりそのおばちゃんが駆け上がってきて

ものすごい雷をおとすんですよ、実の母親だって

あんな怒り方はしないだろうというほどでしたね。

今ならあのおばちゃんのやり方を理解できますが、

「何であんなしらないオバチャンがあんなに怒るんだろう」

なんて、訳がわからなかったんですから素直な高校生達でしたよ。

漁師だったラーメン屋のおじさんに、釣りのやり方や、

海のもぐり方なんかを教えてもらって、海を相手にしていても、

10日もするとあまりの変化のなさにみんな無口になってくるんですよ。

毎日浜辺で寝そべっていると、

洒落たパラソルを立てている女学生の一団が気になりましてね、

向こうも4人、こちらも4人、

「お前行って来いよ!」

なんてみんなで肩をつっつきあっているうちに、

向こうから真っ黒に日焼けした娘がこちらへくるじゃないですか。

「君たち東京の子なの」

もう最初から向こうが上から目線でですよ。

「はい、そうです」

なんて身体に力が入ってしまって、何をしゃべっていいやら、

「夕方になったら花火をしようよ」

と話が決まると、もうみんな大騒ぎ、

「何でいつまで太陽は沈まないんだ」

なんて太陽に八つ当たりしたりしてね。

その花火がきっかけで、それから一週間はね

その浜辺が天国じゃないかと思うほど楽しい時間が流れましたよ。

でも、現実はやってくるのでして、

「明日、東京へ帰るわ」

という言葉を聴いた時は、この世が真っ暗に感じましたね。

東京行きの列車を待つホームで、蚊の鳴くような声で

「東京でも会いたいな」

すると、あの真っ黒に日焼けした娘(同じ歳でした)は、

手帳の端に住所と名前を書いてMに手渡したのです。

もうその娘にぞっこんだったMは、彼女達を乗せた列車が

小さくなるまで手を振り続けておりましたっけ。

長かった夏休みが終わると、東京に戻ったMと二人で彼女の街を

訪ねました、

彼女の家は商家で、まるで闇市のような賑わいの中で、

家を手伝っている彼女の姿を遠くから見つめるだけで

「やっぱり帰ろう」

とその町を後にしたのです。

「あれは夏の間の思い出にしとこうよ」

どうです、あの頃の高校生は純情だったでしょ、

そう、あれから55年の歳月が過ぎていったのですよ。

あたし等がみんな爺になったように、彼女達もいい婆さんに

なっているでしょうね。

もうあの日焼けした彼女の家は全くわかりませんが、

久し振りに訪ねた想い出の街で、たったひとつ変わらなかった

秋色の空を眺めていた旅の途中のこと・・・