思い立ったらすぐに行動 というのは若者の特権のように

思ってはおりませんか。

年寄りは行動するする前に、よーく考え、危険なことを避け、

誰にも迷惑の掛からないように用意万端整えてから行動する

って誰が決めたのでしょうかね、

これは、私が旅の途中で聞いたお話です。

信州のある山里で道端に小さなお石の地蔵様がポツンと置かれて

おりましてね、其処には綺麗な野の花が置かれておりました、

村の人にお尋ねすると、昔といっても江戸時代のこと、

この山里をふらふらになって通りかかった旅人が、

水を求めてある家を訪ねたそうです、

水だけではなく、食べ物も与えて介抱したのですが、

とうとう息をひきとったのです、その山里の人々は

何処の誰かも判らないその旅人をねんごろに弔い、

その最後に倒れた道端に地蔵様を立て、

その傍を通る度に手を合わせているのだとのことでした。

現代ならこの旅人はどんな評価を受けるでしょうか、

きっと、人に迷惑を掛ける旅人の行動は批判の嵐に

さらされるのではないですか、

現代人は自分の不平、不満をぶつける対象を探し求めて

はいないですか・・・

特に正義を振りかざす人々は、自分のことを棚に上げ

罵るのですよ、

怖いですね、人の命など何時絶えるか誰も分からないのに、

迷惑を掛けたというその一点を見つけて出してね。

完璧にしていないといけないという風潮を作り出して

いるのもやっぱり人間なんですね、

行き倒れた人をねんごろに弔うという優しい心は、

批判という言葉の刃の前に消されてしまいかねません、

言葉ほど冷酷になれるものはないのです、

自分でも思ってもいなかった言葉が口をついてほとばしる、

人間の持っている一番恐ろしい武器なんですね。

ふらりと出掛けた先は、山の冷気が感じられる川のほとり、

のんびりと釣りを楽しんでいる二人の釣り人を、

ただ見つめているだけのことなのに、何でこんなに穏やかな

気持ちでいられるのでしょうか、

川にそって歩くうちに、瀬音がこころを落ち着かせることに

気付かされる、

「確かこの先に瀧があったはず」

何年ぶりかでその神の扱いを受けている瀧の前で

佇んでおりました。

旅をしなければ気付かないことがあるのですね、

乱れたこころが一本の水の流れのように感じられる

旅の途中のこと。

瀧は玉だれ天女しらぶる琴を聞く 荻原井泉水

(箱根湯本にて)