浅草者(もん)は隅田川の向こう側を 向島 と呼んでいた。

それでも江戸の後半は、隅田川向こうの地・寺島隅田を含めた

向島墨堤の地が、江戸市民の緑多き閑静な名勝の地・行楽の場・

富裕層の別荘地として脚光を浴びていた、

300年近く続いた太平の世が瓦解すると、この国は富国強兵へ

生産第一、工場立地優先まっしぐら。

国際競争力をつけるだけのために路の拡張、上下水道の整備、

鉄道・港湾など近代国家の体制作りに励んだ、

周辺郊外地であった向島は帝都復興計画でも区域外であったため

何の整備も手当ても受けてないまま、あの関東大震災が発生する。

水運と安い土地の代表であった向島に、工場向きというだけの理由で

大中小の工場、下請けの町工場などが殺到した。

建築規制もなく職工さん達の棟割長屋・借家・アパート、それに商店が

無秩序に造られていき、狭い路地、行き止まりの路地がそこら中に

できあがったのです。

向島には人の手によって大きな町並み造成をしたとか

区画整理をした歴史はなかったのです。

私が学校を卒業して最初に仕事をしたのは、押上 は

そのごちゃごちゃした下町の代表そのものでしたね、

でも、そこに住むおじちゃんおばちゃんの底抜けに明るくて

情のある無類の優しさは衝撃的でしたね。

二年ほどで浅草に移ってしまいましたが、今でも押上や業平は

アタシにとっては懐かしい町なんですよ。

その町に降って湧いた世界一の電波塔建設、

しかし、何度もこの町を訪ねる度に

この電波塔をきっかけに再開発事業が開始され始めていることを

知りましてね、

それなら、どう変わるか最後まで見つめ続けてみょうというのは

せめてもの一宿一飯の恩義のある町への恩返しのような気が

していたのですかね。

何の力もない老人のできることといったら、丹念に記録と記憶すること

くらいしかできませんがね。

毎度おなじみ業平駅前書店(古書)で歴史書をお買い上げ、

すぐに読みたくなるのが本好きの性格、

だいちこんなに冷たい空っ風の中を散歩などしてれば、

風邪を引くのが関の山、すぐ隣の喫茶店へ、

ここのアップルパイは甘党には避けて通れない美味さなんで

ありましてね、熱い珈琲をすすりながらの読書三昧、

うーん、やっぱり下町の喫茶店文化は健在なり、

夢中で読みふけって気がつけば、表は既にどっぷりと夕闇が、

『復興軒』のカレーラーメンによろっとしながらも

「今宵は小梅の藪そばと決めてるんだ」

と己に言い聞かせて戸を開ければ、エモイワレヌ香りに

「おばちゃん、この香りはこの椿なのかい」

大きなテーブルの上には皿に「匂い椿」、

「違うのよ、この匂いはこっちの『匂い桜』

 戴きものなんだけど、表に置いておいたら

 こんなに花が咲いたものだからさっき店に

 いれたのよ」

いや、強烈に匂う花ですよ、

「この匂いは桜じゃないみたいだよ」

「本当の名前は・・・えーと、インドの花らしくて

 そうそうルクリアだ!」

花の色が桜色なんで、匂い桜か

やっぱり桜は、楚々としてあまり匂わないほうがいいですな、

そうそう、本日は、冬限定メニュー 「牡蠣せいろ」を所望

創業70年の自信あふれる蕎麦に何度も舌鼓を打つのでありますよ。

東京下町散歩は、

店主のこだわる古書店あり

ノドが乾けば美味しい珈琲

小腹が空けば 旨い蕎麦、

これだから止められないわけですよ。

懐かしい業平橋にて

(この記録は東京スカイツリーが建設途中の頃のこと)