土砂降りの雨の中、和服に着替えてあの祭りの町へ向かいます。
これだけ降ったら大抵の祭りは取りやめになるはずでも、
この祭りの町には、何処を探しても、
「雨が降ったから止めよう」
なんて気質はないのですよ。
雨なら雨の日にしか見つからない祭りがあるはず、
それが、もう20年も欠かさず夏と秋の祭り
(年に二度も祭りを行うことだって尋常じゃないでしょ)
に通い続けることなのかもしれませんですよ。
軒下から一歩踏み出しただけでずぶ濡れになる大雨、
そんな時は、慌てず騒がず、顔見知りのお店にご挨拶、
そしてついでに雨宿り、するとね、何処からともなく
あの佐原囃子が聞こえてくるのですよ。
祭り囃子とは不思議な力があるものでしてね、
耳を傾けているうちに塞ぎこんでいたこころの扉が
すーっと開いてくるのですね。
実は三年に一度は年番交代の年、古式に則った年番交代の儀式が
あるのです、この年番交代の年こそが本祭りと呼ばれ、
緊張の中で粛々と行われていくのです。
「せめて、儀式の間だけでも小降りになってくれまいか」
そんな願いが天の神さまに通じたのでしょうか、
本当に止んでしまったのですよ。
佐原囃子には沢山の曲がありますが、中でも『砂切(さんぎり)』は
祭りの最初と最終日の最後に演じられる儀式のための曲ですので
祭りの途中からやってきた私のような者には聞くことが出来ない
曲目なのですよ。
その『砂切』が各町の揃った年番交代儀式の中で、
『通し砂切』として演じられるのです、
三年間年番の大役を終えた町内の世話役が順番に御礼の挨拶に
廻ると、それまで灯りを消して静寂の中でその刻を待っていた
各弊台の上で控えていた下座連の皆さんは、
その挨拶が終わると、灯りを点し、『砂切』を演じ始めるのです。
なんと言う力強い演奏でしょうか、そして、この『砂切』だけは
横笛がたったひとりで吹くのです。
目をつぶりながらじっと聞き入っているうちに鳥肌がたってきました。
それは、音色とか音色ではなく、人の心が乗り移った魂の音に
身体が敏感に響き合った瞬間なのかもしれません。
その町内の『砂切』が終わると、聞き入っていた人々から想わぬ
歓声が上がるのでした。
それは誰かが合図したわけでもなく、あの囃子が人のこころを動かした
事実を目の当たりに見ていたのです。
次の町内の弊台へ今年の年番町の挨拶が終わると、再びその町の『砂切』が
演じられるのです。
こうして、次々に続けられる『通し砂切』、
どれひとつとっても、同じ表現はありません、
重々しく演奏する町があれば、年番お疲れ様と温かく返す町もあります、
どの『砂切』を聞いても同じものはないのです
しかし、その中に流れているのは、人をいたわり思いやる心が溢れている
ということでした。
とうとう、14台の弊台の中で演奏された『砂切』をすべて
感じ取った後、私は涙が止まりませんでした。
祭りは始まってしまうと、会話や言葉は案外通用しない
ということが往々にして起こるのです。
古人たちは、そのために言葉に代わる伝達手段を祭りの中に
忍び込ませていたのですね。
祭り囃子はその代表でしょう、
曲目が変わる度に人の動きがきっぱりと変わるのです、
若頭の打ち鳴らす木の音にそれまで沸きあがっていた
歓声がぴたりと止んだ。
辺りが闇に覆われると、もう顔を確認することさえ難しくなります、
すると、世話役の持つ提灯の灯りが言葉に代わって合図になってくるのです。
上に持ち上がった提灯が、さーっと振られると、重い弊台がぎしぎしと音を
立てながら動き出すのです。
そこにあるのは 阿吽の呼吸、ひとりひとりの感性がひとつになる瞬間こそ
『祭りの力』そのものなのですね。
再び降りだした雨も、もう祭りを止めることは出来ません。
「ヤッサイ ヤッサイ ヤッサイ!」
そのみんなの声が何時までも響き渡っていた雨の佐原大祭の宵です。
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