源範頼は源頼朝の弟として、また源義経の兄として、

平家追討に功績のあった武将ではあるのですが、

頼朝、義経に比べると影の薄い存在のようですね。

「平家物語」や「源平盛衰記」に名があるとはいえ彼の

存在感や人となりは想像の域を出るものではないためか

ほとんど知ることのすくない武将ではあったのです。

しかし、範頼もその存在が確かであることで、後に伝説と

して流布されていくのですが、それは義経同様に悲劇の

主人公として語られているのでした。

そういえばこの国の伝説には悲劇が似合うのでしょうか

喜劇の伝説ってないですものね。

『蒲櫻伝説』

範頼は、源義朝の六番目の男子として遠江国蒲御厨で生まれた。

「蒲冠者」または「蒲殿」と呼ばれている。

平治の乱で源氏が没落した後、範頼は武蔵国吉見の安楽寺で

稚児になって幼少期を送ったとされているが、彼の姿は

坂東の地に色濃く残されているのです。

今からおよそ八〇〇年のむかし、平氏の目を逃れるために流される

ようにたどり着いたのは武蔵国石戸宿堀の内であった。

範頼を温かく迎えてくれる人びとに守られ、この地を安住の地として

受け入れられた彼はやがてこの地の豪族の娘亀御前を妻に迎え平和な日々を

送っていた。

しかし時代はやがて思わぬ方向に動き出していく。

戦に明け暮れる源平合戦の後、

兄頼朝が権力を掌握するにしたがって世の中は再び平和を

取りもどしていくが、

しかし猜疑心の強い兄は義経を葬り、

さらに範頼をも修善寺に幽閉し、

やがてその命さえも奪ってしまう。

その範頼の死を聞いた亀御前は悲観のあまり自らの命を絶った。

いつからか、石戸の堀の内に咲く桜を人は範頼にちなんで『蒲櫻』と呼び、

その櫻を植えたのは亀御前だとささやくようになっていた。

みるみるうちに黒雲はあたりを覆い、

稲光とともに雷鳴が轟くと冷たい雨が

降りだしてきた、やがて雨は雪に変わり石戸宿にたどり着いた時は、

まるで夕闇のようでありました。

「何もそこまで降ることはないだろうに」

ぶつぶつと独り言を呟きながらその櫻の下に佇むと、

その櫻は妖気を漂わせているではないですか。

伝説を真に受ければ800年の樹齢ということになる。

樹の根本には五輪塔が雨に濡れていた、多分、源範頼の墓標に

違いない。

この寒さと雪交じりの雨の中、

誰が好き好んでやってくる者があるものか・・・

待てど暮らせど、訪ねる人も無い境内で櫻と対峙するには

どうもこちらの役不足は否めないのでありますよ。

阿弥陀堂の軒先をお借りしてしばし雨宿り。

どのくらい其処に佇んでいたのか、手は悴み、身体は振るえるほど

冷え切ってしまった。

その時、車の音が直ぐ下の通りで止まった、やっと見学者が

来てくれたかと見つめていると、車の中から指をさした二人の

若い笑顔が見えたが、車から降りることなく直ぐに立ち去って

しまった。

そりゃそうだよね、暖房のきいた暖かな室内からわざわざ降りるほど

酔狂ではないものね。

小一時間もそこに佇んでいただろうか、さしもの黒雲もいつしか飛び去り

やがて夕暮れの温かな陽射しが西の空を染め始めた。

浮かび上がった『蒲櫻』が愛し合った範頼と亀御前の想いを今に伝え続けて

いることに何の疑問をもつこともありませんでしたね。

指していた傘をつぼめると傘に散りかけた桜が ハラリ と舞った。

「いい出逢いでしたよ」

誰もいない境内の片隅に佇む地蔵菩薩にそっと話しかけると

「お前さんも酔狂だね」

と言ったのか、地蔵様の口元が綻んでいた旅の途中・・・

さて今夜は何処に宿を決めるかな。