栃木の小さな城下町烏山では、毎年夏の最中 町ぐるみで

盛大な祭りが行われる。

町の通りに歌舞伎舞台を作りその舞台で、ある出し物が

演じられる、そんな祭りが三百五十年以上続けられている 

「山あげ祭り」である。

その出し物で一番の人気は『将門』である、

『平将門滅亡の後、その娘、滝夜叉姫は、ガマの妖術を使って

 再興を図ろうとします。

 討伐に来た大宅太郎光圀を色仕掛けで味方に引き入れようと

 しますが見破られて立ち回りになる』(観光協会パンフより)

大衆の中に見事に溶け込んだ将門伝説なのです。

歴史の中で語られる史実は、勝者の側から書かれたもので、

敗れ去った者については、極悪人、謀反者、中には土蜘蛛などと

散々に落とし込められる、

しかし、大衆はその敗者に特別な思い入れを持つと、伝説と化して

伝え続けるのです。

菅原道真 平将門、はてまた義経・・・

時には怨霊という形をとって千年くらいの時空は簡単に飛び越えて

しまうのです。

今回の旅は、その将門伝説を追ってみようというわけなのです。

江戸東京には今でも将門を祀った箇所があります、

あの天下祭りの神田明神しかり、大手町の首塚しかり、

今でも祟る神としては、菅原道真と双璧なのです。

「今でも成田不動にはお参りにはいかないよ」

「家は桔梗の花を飾らないんだ」

そんな言い伝えが残る町を訪ねたのは、三寒四温の特別寒い日の

午後でした、

目の前に筑波山を望む旧岩井の町を抜けさらに北に向かう道野辺に

将門を祭神に祀る「国王神社」がひっそりとある。

もう何度も訪ねているが、その茅葺の本殿は、いつ見ても

この地で大切に護られていることがひしひしと伝わってくる。

伝説というのは、作り物のように感じるかもしれませんが、

どうしてどうして思わぬ真実を含んでいたりするものでしてね。

それは千年に渡り延々と伝え続けてきた中に、ソレを信じる人々が

沢山いたということだけは誰も否定できないということなんです。

説明板には、

「平将門の戦死の際、難を逃れ奥州の恵日寺付近に庵を結び

 出家し隠棲していた将門の三女如蔵尼が、将門の33回忌に

 あたる972年(天禄3年)にこの地に戻り、付近の山林にて霊木を得て、

 将門の像を刻み、祠を建て安置し祀ったのがはじまりとされる。」

とある。

あの 山上げ祭りの中で演じられる 『将門』では滝夜叉姫、

こちらの国王神社では将門の三女如蔵尼、

将門を慕う人々は、多分に生き続けて欲しいという願いを

娘達に託したかったのかもしれませんね。

それが真実か否かとは全く相容れない人々の願いとは、

きっと、多くの人物を登場させ、その登場人物に想いを語らせる

という方法によって繋ぎとめるのか、

伝説とは、必ず生き続けて欲しいという願いの裏返し

なのかもしれませんね。

手を合わせ、お参りを終え、帰ろうとしてふと振り返ると、

らんらんとした瞳の将門がこちらを睨んでござった。

もう一度礼をすると、微かに口元がほころんだ気がした 

旅の途中です。

旧岩井町 国王神社にて