秋こそあれ人はたづねぬ松の戸を

  幾重もとぢよ蔦のもみぢ葉

『新勅撰集』式子内親王

秋だというので私に飽きてしまったというのかしら
 誰も訪ねてこない我が家の松の戸をいっそのこと
幾重にも閉じておしまい 蔦の紅葉よ

ああ、女性にこんな想いをさせるなんてなんということでしょうか、

それでなくてももの悲しい晩秋、紅に染まったもみじまでが

悲しみをさそうのですよ。

春は曙、秋は夕暮れと表現したのは清少納言でしたかね、

平安の昔から、秋はなんとなく哀しい気分になるのがどうやら

日本人の気質なのでしょうね、

でも時代が変わると、

「おじさん、紅い葉っぱ眺めてなんでそんなに哀しいの」

なんて、キャピキャピの女の子がのたまうのでしてね、

だから、おじさんは他人目を避けて、そっと紅葉(もみじ)を

探しに行くのですよ。

そもそも紅葉とは・・・

日照時間が短くなり、気温が8℃を下回ると葉に蓄積したブドウ糖や

紫外線の影響でアントシアンが発生し葉が赤くなるのです、

こんな説明を受けると、折角情感を高めていた気分が急に

冷えてしまいますよね、

こういうのを、身も蓋もない 話というのですよ。

日本人ならそんな説明を受けなくたって、

紅葉の美しさやその心に受ける哀しさまでも

一瞬にして受け入れることができますでしょ。

というわけで、朝の気温が7℃を差していたので

さっそく紅葉狩りへ、

この時期、山から下りてくるのは空っ風と紅葉の彩り、

いくら心を洗うような美しい紅葉でも、

寒くて足踏みしながら愛でても

震えが先にきて楽しむどころじゃありませんよ、

襟巻き巻いて、手袋はめて、もみじ見上げる着膨れのおじさんひとり、

うーむ、ちっとも粋じゃありませんですな、

まるで狸の散歩、やれやれこちらの姿の方が 身も蓋も ありゃしない。

「あら、綺麗ね、ちょうど見頃じゃないの」

朝の散歩のオバサン二名が彩り鮮やかな紅葉に感嘆の声、

その姿、アタシと同じで、そのままスキー場へ行っても

へこたれない重装備、

初冬の紅葉狩りはどうやら和歌のひとつも詠むような雰囲気では

ありませんですな、

どんよりとした朝の空気だけが冷たく頬を覆い隠す、

そこへ北風がピューと鳴く、

遅れてきた紅葉はニコリともせずにハラハラと散って行った

朝の散歩の途中でございます。