今年の8月15日は夏とは思えぬ冷たい雨です。
あの日に生まれた子供たちは、もう古希をとっくに
過ぎている。
戦争を体験しない人々がほとんどのこの国で
生まれてくるる子供たちに伝えなければこの国に何が起こったかを
知らないまま大人になっていく。
当たり前になっている平和の意味をどう伝えるのか?
それはこの国の大人たちの絶対に避けてはならない生き方なのです。
平和が当たり前になっていると、人は現在の自分の生活が一番だと
思い始める、
もし、その平和が外部から侵されるかもしれない不安を
持ち始めた時、自分の身を守るために暴力も、武力も必要だと
必ず思い始めるでしょう。
その時に、それが大多数の意見になってしまったら、
「民主主義の国は多数決で意見を決めるのだ」
と さも当たり前のように決められていく。
「戦争も仕方ない」 と・・・
その時、貴方は勇気を持って
「戦争は駄目だ」
と言い切れますか?
ひとりひとりが勇気を持って駄目なものは駄目だと
言い切ることこそがこの国が戦争を引き起こした
責任の取り方なんだと・・・。
平和とは日々の当たり前の生活が 当たり前に
過ごせることなんです、
特別なことなど必要としない生活がね・・・
お盆の帰省で空いたとはいえ、何気ない普通の生活が
町の彼方此方には続いているのです。
何も特別のことなどない生活がね。
終戦記念日の夕暮れ、
それはあの世の人を思う日でもあるのです。
そして、あらためて平和の意味を噛み締める日でもね。
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