昨年、板橋に残るもうひとつの赤塚諏訪神社「田遊び」を

たずねましたが、あまりの素晴らしさに一度で見終わるには

モッタイナイと思い、後半を見ずに帰りましてね、実はあまりの

寒さに身体が耐えられなかったのも理由の一つだったんですがね。

一年待って、今年は準備万端整えて諏訪神社へと伺ったというわけで

ございます。

古式に則った祭事というのは、待つ時間が大切でしてね、その時間を

無駄にしないように古老にその由来や疑問を尋ねたりと、なかなか楽しい

ひとときでありますよ。

(区切られたもがりの中で「田遊び」が始まる)

拝殿前に設えられた「もがり」とは

枝つきの竹を組み合わせ、縄で結び固めた柵で囲み

祓い清めた神の居ます場所を モガリというらしいですね。

宮司による修祓い・降神の儀・祝詞奏上が終わると、まずは

所役による呼び込みが始まります。

「ひらがさの ひらがさの 早乙女やあい」

子供達は青竹のささらを手に神輿渡御の道を叩きながら道を

清める役のようです。

(代掻き牛の登場)

高張り提灯、釈杖を先導で、簓の少年、金棒、はなかご、弓矢、駒、

猿田彦、神輿、神主、白杖、太鼓、笛と並んで神社から南へすぐの

十羅刹堂跡地へと向かいます。

十羅刹堂跡地での祭事は昨年じっくりと見せていただきましたので、

一行が再び諏訪神社へ戻ってくるところから仔細に見つめておりました。

(十羅刹堂から神社へ戻る神輿一行)

三の鳥居から境内に戻った一行は、まずは神輿を拝殿前に戻し、

天狗が もがり前で 地鎮の舞いを行う。

いよいよ もがりの内で田遊び行事が始まります。

大稲本  「よなんぞう殿」

一同   「よう田の方」

と最初に必ずこの言葉から始まるのです。

この「よなんぞう殿」とは・・・

どうやら稲を扱う人を指しているようですがどなたにお聞きしても

確実な答えは聞けませんでした。

(地鎮の舞いを踊る天狗)

二日前に伺った徳丸北野神社の「田遊び」では もがりに大稲本、小稲本、

所役の十数名上がっておりましたが、こちらでは もがりのなかに

大稲本、小稲本、鍬取り役の六人ほどで行われておりました。

 町歩調べ、苗代の数をかぞえ、

 田打ちでは田圃に見立てた太鼓の上に、ニワトコの枝の先に餅をつけて
  
 鍬のかわりにする、その鍬を太鼓の上に置いて左回りに廻る。

 苗代かき、大足ふみ、から種蒔きへ

  「種移し給い いざ蒔きそう あらむずかし

   うーまこ冬蒔こふよ 福の種蒔こうよ」

 と太鼓の田圃に種を蒔く。

(朱の重箱を持って「よねぼ」が呼び込まれる)

ここで「もがり行事」が中断すると、もがり前の参道で先ほど

十羅刹堂跡地で行われた祭事が再び再現される。

花籠を背に太鼓打ちが身構える前に、花で飾られた破魔矢が登場する、

多分、参道の悪霊を祓うのでしょう、

次に子供(早乙女役)が乗る駒が突進してきて厄を祓う仕草、

早乙女役が大泣きするあたりはみんな逆に大笑いでしたね。

次は、獅子舞による「九字の舞い」、これも悪疫を退散させる

意味があるようですね。

まるで参道が野外劇場に早代わりしたようで、周りを取り囲む観客からも

拍手と歓声が沸きあがるのでした。

(駒に乗った早乙女が登場)

いよいよ佳境に入ってきたようです、

呼び役が

「つぼ笠の つぼ笠の早乙女やあい」

三の鳥居から朱塗りの弁当箱を持った「よねぼ」が登場してきます、

藁で作られた「よねぼ」の顔のあたりには 寿 の文字。

太鼓打ちの声が

「やーぁやーぁ いーよいよ」

太鼓の音が辺りに響き渡る。

(まるであの世の使者のような「太郎次」)

(お腹のふくらんだ「やすめ」)

そして翁面の太郎次と姉さん被りのやすめがあの世から戻ってきたような

仕草の踊りをするともがりの前で抱き合うのです、これは受胎、出生を

表しているのでしょうか、たぶん五穀豊穣の願いが込められているに

違いありません。

もがりでの神事が終わりに近づくと、前庭に積み上げられた「どんと焼き」に

火がつけられるのです。

火は穢れを浄め、新しい命を生み出します、昔から小正月の行事として各地で

行われておりますが、たぶん、高く 上る煙に乗って正月の神様が戻られていく

と信じた古人たちのこころまで伝わるようでした。

いまや東京ではたき火ひとつできなくなりました、火の持つ霊力を

現代人が見失っても仕方ないのかもしれませんが、せめてこういう予祝いの

行事だけでも残しておいてほしいですね、

2月11日、13日の両日貴重な正月行事を見ることができて感激いたしました。

それにしても 徳丸、赤塚の人々の営々と絶やすことなく続けていることに

頭が下がる思いでございます。

(2016年2月13日 赤塚諏訪神社にて)