大佛の冬日は山に移りけり 星野立子

『高徳院清浄泉寺御本尊阿弥陀如来坐像』

どうやらこれが正式ない名前らしい。

鎌倉の大仏様などと気楽に呼んでおりますが、

勿論、国宝なのでありまして、数ある国宝の中で

これほど身近で感じられるものはそうはございませんですよ、

雨に降られれ、風に吹かれ、

ある時は灼熱の陽に焼かれ

月夜の暗やみにただ座して人々の願いを

聞き続けた露座の大仏様なのでございます。

『鎌倉や 御仏なれど 釈迦牟尼は 

  美男におわす 夏木立かな 』

云わずと知れた与謝野晶子の歌が歌碑に刻まれている、

揚げ足取りの大好きな此の国の人々は

「あれは釈迦牟尼ではなく阿弥陀如来なのに・・・」

などと相変わらずのピーチク パーチク、

そんなことは百も承知の晶子さん、今頃、ニヤリとされているかしら。

美男と感じるかどうかはアタシは男なので

評しようもありませんが、

さきほどからひとり見上げている文学少女は

ウットリと目を細めているところをみると、

美男におわすか・・・

これだけ鎌倉通いを続けていながら、美男にお目にかかるのは

二度目でございます。

名所などというのは、あの東京タワーのように

一度登れば二度目はもうケッコウと思っておりましたが、

どうしてどうして、800年の風雪に耐えたお姿は有難くもあり、

想わず手を合わせてしまう力がございますよ。

閉門間際の時刻ともなると、

さすがに観光客の姿は次々と消え、

さきほどの文学少女と暇人オジサンのみ、

冬の陽が、後ろの山に移り始めた頃合、

どこからともなく梅の香り

さきほどまで観光客の喧騒の中で気づかなかったのでしょう、

今日の夕暮れの光が頬を紅に染めた、

釈迦牟尼の瞳が輝いた気がした旅の途中でございます。