仕事を終えて東京から石岡駅に到着した時は、秋の陽は西に

傾き、もう夜の帳が辺りを覆い始めておりました。

石岡の祭りは十五の氏子町内が一年交代で年番を務めるという

かつての頭屋をほうふつさせる組織ができているのです。

年番町は前年のお祭りで年番を引き継いでから次の年番町に

引き継ぐまで一年間、神社の奉仕に努め、お仮殿の建設から

祭りのすべての指揮を取り仕切るのです。

今年の年番町は仲之内町、すでに大神輿は御仮殿から総社宮へ還御

されておりましたが、それでも多くの町の人々が参拝に押しかけており、

年番町は人で溢れておりました。

昨年は祭りの三日間通いつめ、石岡の祭りの奥深さをじっくり見せて

いただきましてね、今年は他の町の祭りを訪ねており、なんとか最終日に

間に合ったようです。

関東では、獅子頭そのものを御神体として神輿のように担ぎまわる

祭りも数多く見られますが、ここ石岡の祭りでは、「幌獅子」と呼ばれ

大きく重い獅子頭に移動式の小屋を幅2m奥行5mほどの布の幌で覆い、

小屋の中ではお囃子が奏でられ、そのお囃子に合わせて、大きな獅子頭を

頭の上に振り上げながら舞い踊るという勇壮な祭りでもあるのす。

各町内から数々の幌獅子が町中に集まると、あっちでもこっちでも

獅子舞いが始まるのです。

他の町の獅子舞とかち合うとその場で囃子手が歓声をあげ、獅子頭が

暴れ廻るのです。

各町内の山車もやってきます、

山車の上で面をつけて踊るのも、子供たちが多いのですね、

その手さばきも各々堂に入って、実に楽しい祭りですよ。

町の中に、山車の数だけ舞台が出来上がっており、その舞台を

子供たちが踏むことで、町の一員として認められていく仕掛けが

祭りの中に隠されているのです。

それにしても物凄い熱気です、

平日の普段の石岡の町を知っているだけに、この祭りがいかに町の人々に

歓迎されているかがよーくわかりましたよ。

今は廃れて、元気の無いように見える古い町、

しかし、祭りを絶やすことなく続けているその意思がある限れ

その町はきっと再生されてくるはずです、

昔から、その繰り返しを何度も体験しながら、今の町が出来上がって

いるのですからね。

七年前お訪ねした商店は今も健在でした、

なんだかふるさとに帰ってきたような気分です、

昭和4年の大火で町の半分が焼けた時も、町の人々はもう一度此の町を

再生させたのです。あれからでも85年の時が流れています。

そして、その時も、今も変わらずに祭りは続けられているのです。

当時とはもう世代交代が何度か起こっていたはず、

それでも祭りは伝統と新しい文化をうまく取り入れながら

続いていることの事実を目の前にして、人のつながりの

深さと重さを教えられておりました。

隣町の幌獅子が会所にやってきます、

獅子舞いが舞い終わると、会所の役員さんから丁寧な挨拶、

祭りとは、人間社会の写し絵でもあるのですね、

きちんとした挨拶を、傍で子供たちが見つめています。

これ以上の子供の教育場所は無いのでは・・・

すっかり暮れてしまった町中に、石岡囃子が鳴り響いています、

駅のホームで上野行きの列車を待ちながら、

この祭りを行っている町こそ、本当の石岡なのだと

想いを深くした祭り旅の途中です。

平成27年 9月 石岡にて