まだアタシが学校出たてで、それも某大企業に

入社しちまったために、

やれ研修だ、やれ言葉使いだ、挨拶の仕方だと

散々洗脳されて、営業に出されたのが

浅草なんですよ。

よりによって三社祭の最中、カバンにカタログ入れて、

一軒一軒訪ね歩くというまったく効率の悪いやり方でね、

「バカヤロウ!今をなんだと思ってやがるのだ、
 
 祭りに仕事の話なんかするんじゃねぇ」

飛び込んだ店のオヤジにいきなり怒鳴られましてね、

あの時のオヤジさんの一言に、祭りとはなんたるかを

教えられたというわけで、

子供の頃から馴染んでいた浅草人の生き方を

初めて身に沁みて感じた時でしたね。

その大企業もなんだか人間がダンダン小さく固められて

いくような気がしだして、プイと止めちまったのですから、

浅草のオヤジの一言は恐ろしいものでしょ。

あれがきっかけで、祭りにのめり込んで、日本中の祭りを

行脚する旅を始めちまって半世紀ですよ。

日本の祭りには伝統を重んじる神事に則った祭りがあれば、

人集めの手段としての祭りがあり、日本人の祭り好きは

度が過ぎているんじゃないかと想うことがしばしばありましたな、

初めて よさこい に接したのは、原宿で最初に

開催された時でした、

それも偶然居合わせたためだったのですから、

熱の入らないのは当たり前で、ただただ大音響で

流れるロック調の激しいリズムで踊る場面で

同じような踊りを見せられ、途中で帰ってしまったのです。

ある日、やはり偶然居合わせた祭りで、よさこいに出会いましてね、

20年前の時とは別次元の演舞に度肝を抜かれてしまいました。

その構成、オリジナリティ、衣装、踊り、小道具の見事な使いこなし、

場面転換の妙、伝えたい想い、そして物語を紡ぎ出す表現力、

こんなに素晴らしい方向に向かっていたのかと見方が変わって

しまいましたよ。

やっぱり、祭りは生き物なんですね、変化することが当たり前

だったんです、

仕事の帰り、大塚駅前で流れてくる大音響のリズムに足を

止めました。

果たして、よさこいはどのような

紆余曲折を辿りながら続いていくのでしょうか、

笑顔で踊るチームの皆さんを見つめながら、祭りのあり方を

想うのでありますよ。

(2017年 秋)