痩す痩すも 生けらばあらむを 将やはた

  鰻(むなぎ)を漁ると 河に流れな

    万葉集 巻十六  大伴家持

これは千年も前に身体がひどく痩せてしまった吉田連老という

人に大伴家持が送った歌だと伝わっておりますな、

「いくら痩せたからといってじっとしていれば生きられるものを

元気になってやろうと鰻を獲りに川などへ行くと流されてしまうよ」

なんて笑いながら言ったのでしょうね、

ところが舌の根も乾かぬうちに

石麻呂に 吾れもの申す 夏痩せに

  よしといふものぞ 鰻とり食せ

  万葉集 巻十六  大伴家持

「そんなに痩せちしまっては夏の暑さでなお一層痩せてしまうだろう、

鰻は夏痩せにいいらしいから鰻を獲って食べたらどうですか」

かように昔から鰻は夏の元気の元だったらしいじゃないですかね。

さて時代は下がって江戸の頃、夏の暑さが変わるわけもなく、

相変わらず夏の土用の頃になると、土用餅とか土用卵なんてものが

「精のつくもの」として巾を利かせておりましてね、

そこへ颯爽とご登場したのがかの平賀源内先生でございますよ、

もしかしたら物知りの源内先生、万葉の時代から 夏痩せに鰻が効く

ことをご存知だったのかもしれませんですな。

近所の鰻屋に相談されて、

「本日 土用丑の日」の看板を出させたら、

その鰻屋が大当たりしたとか、

今じゃ、日本中の鰻屋さんが土用丑の日を特別の日として大騒ぎ、

街のスーパーまで「土用丑の日セール」の看板掲げて鰻騒動勃発

というわけでございます。

「売れるならどうやっても売っちまえ」

その結果は、うなぎのシラスが激減、

源内先生も、日本人のみんな右へならえの性格まではご存知なかった

かもしれませんですよ。

今年は鰻は高値で庶民には高嶺の花、

やれやれ、商売人は、売れてなんぼの世界でしょうが、

元の鰻が居なくなれば商売あがったりになるということはきっと、

考えなかったのでしょうかね。

源内先生、草葉の陰で

「日本人の性格までは知らなかった」

とポリポリと頭を掻いておりますよ。

と鰻談義はこれくらいにして、

つい先日、夏まつりのポスターを見つけましてね、

なにしろ、「まつり」という文字に出会うと、他のモノが目に入らなく

なるという祭り狂いの血が騒いじまいましてね。

「川越の夏まつり」ってナニをやるのかしらね、

秋十月の川越祭りには何度もお邪魔しておりますが、

「はてと、この目で見に行ってみるか」

と鬼姫様をお誘いすると、

「この暑さの中、祭りなど狂気の沙汰、お止めなさい」

「いや、美味しい鰻をご馳走しますから」

とかなんとか源内先生のお言葉を思い浮かべながら

やってまいりました 川越夏まつり

あれ、やけに静かじゃありませんか、

ポスターを確認すると一週間早かったのですよ、

それに、熊谷も裸足で逃げるだろう気温37℃の猛暑に

さすがに命の心配する始末、

「お祭りはどこでやってますの」

「いや、今日は土用の丑ですからやっぱり鰻ですよ」

「土用の丑の日は明日じゃないですか」

「×× ○○ △△」

みんな日にちが違っておりました・・・

いつものお気に入りの鰻屋さんに飛び込めば、

丑の日ではないということで、混雑はなし、

「ほらね、空いてていいこともありますでしょ」

ビールで喉をゴクリ、

極上の鰻にどうやらご機嫌麗しくなっていただき

そっと胸を撫でおろした真夏の旅の途中でございます。