浅草散歩に無くてはならないのが大川端、

そう隅田川でありまして、夕暮れ時に川端道をそぞろ歩けば

川風の気持ちいいたらありませんですよ。

つい先日も、大川端で墨田の流れを眺めていて、

「そうだ、一度この上流を訪ねなければ」

なんて散歩の楽しみがまたひとつ増えたとほくそ笑んでいると、

ちょうど出くわした源さん、

「よう、大川(隅田川)の一番上流は何処だか知ってるかい」

「ああ、赤羽の岩淵水門で荒川と合流して終わりだよ」

あまりにあっけない結末、それにその答えたのが源さんですからね

端から疑いの目で見つめるものだから、

「あっ、オレの云うこと信じちゃいねーな、そんなに疑うなら

 自分の目で確かめて来いよ」

と乗っていた自転車をホイと渡すのでありますよ。

「赤羽まで自転車かよ」

「なーに10kmくらいなもんだ、たいした距離じゃないだろ」

とさっさと縄暖簾目指して行っちまいましたよ。

自転車散歩もたまにはいいかもしれないな、

なにしろ、アタシだって昔はマイ自転車を鬼姫様に捨てられて

しまうまでは、何処へ行くにも自転車、自転車でしたから、

まあ、10kmくらいなら

と走り出しましたよ。

ところが源さんの自転車は、職人仕様の重たくて丈夫だけが

とり得の頑丈そのもの、それでも今は川のサイドをサイクリング用の

道が出来ていて走り出してみれば、鼻歌歌いながらの結構爽快な

自転車散歩ですよ

「ギィーコ ギィーコ」

油切れの源さんの自転車の重いったらありゃしない、

途中で何度も休憩、そのおかげで隅田川をじっくりと

辿ることができましたがね。

あの芭蕉さんが奥の細道の旅で深川から舟でやってきて

最初の一歩をしるしたとい千住大橋の下を潜り、尾竹橋と

順調に遡って辿り着いたのは岩淵水門、

ふと見るとその先に赤い水門が目に入り、

自転車を土手の上に置いてその赤い水門を訪ねると、

何々大正13年に8年工期で完成された水門で、

それまでは荒川がそのまま隅田川に名を変えて

流れていたんですな。

現在は荒川はここ岩淵で荒川放水路と隅田川に分かれるわけで、

なるほど、隅田川とは案外短い川だったんですね。

すると、隅田川の最上流は荒川を辿ることになるわけで、

奥秩父の甲武信ヶ岳が源流というわけ、

とてもこの自転車じゃ行かれませんよね。

ふと見るとその先に赤い水門が目に入り、

自転車を土手の上に置いてその赤い水門を訪ねると、

何々大正13年に8年工期で完成された水門で、

それまでは荒川がそのまま隅田川に名を変えて

流れていたんですな。

現在は荒川はここ岩淵で荒川放水路と隅田川に分かれるわけで、

なるほど、隅田川とは案外短い川だったんですね。

すると、隅田川の最上流は荒川を辿ることになるわけで、

奥秩父の甲武信ヶ岳が源流というわけ、

とてもこの自転車じゃ行かれませんよね。

「うひゃ! 帰りも自転車だった」

と急に現実に戻されても、もう浅草まであの戦車みたいな

自転車を漕いでいく元気など残っちゃいませんよ。

「ギィーコ ギィーコ」

とやっとのことで赤羽駅へ、自転車置き場に預けるとそのまま

腹こしらえへ、

ひと息ついたらもう、足が動きませんよ、

駅に自転車を預けたままアタシは電車で浅草に戻った

というわけでして、

いつもの店で源さんは酔いつぶれてましてね、

「よう、帰るぞ、」

千鳥足の源さん抱えてご帰還、

「どうした、隅田川は・・・」

酔ってるわりに記憶だけはしっかりしてますよ、

「ああ、隅田川は岩淵で消えちまっていたよ」

「そうだろ、オレも昔訪ねたことがあったからよ・・・

 あれ、そういえばオレの愛車どうしたよ」

「あんまり重たくて赤羽に置いてきた、明日ゆっくり取ってくるさ」

こうして、秋の一日は更けていくのでありました。