「小寒」から始まる寒の入りも、今年はことのほか

寒さが身に染みますな、

その寒中も「大寒」を過ぎればいよいよ寒さは極まれり、

実は今年の初詣で決めたことがありましてね、

「寒中に海風を受ける」

これは考えるのと実行するのとではえらく差がありましてね

生半可な気持ちで実行すると大抵は身体の方がついていかなく

なるのですよ、

遮ることのない岸壁の上で、海からの寒風を己の身体ひとつで

受けてみるぞ、と意気込みだけは若者に負けないつもりでも

老齢の身体は、いや精神もですが、つい弱気の芽が伸びてきて

「年寄りの冷や水」になるから止めておこう 

となるのがセキノヤマなんですよ、

待てよ、準備万端整えれば出来ないはずはない、

ところがこの準備万端が大の苦手のアタシは、風のむくまま気のむくまま

の人生を過ごしちまいましたので、その準備をどうやるか・・・

寒中の海辺の夕暮れの気温マイナス1度、風は10mを越す、

体感温度はマイナス10℃以下である、

「寒さに身体を慣らす」

それには寒中の町を歩き回るしかない、

アタシにしては壮絶な決心(大袈裟ですが)で寒中の町中を

歩き出したというわけですよ。

端から見れば、暇人爺のただの散歩にしか見えないところが

いいでしょ、しかし、心の中は目的を持って熱く燃えているのでして

アタシの人生の中で、こんなこと考えたことも無かったのに

急にやってみたくなったのは、歳を取ることへの自分の回答なのかも

しれませんよ。

壮絶な決心も、町のなかではなかなか続かないものですね、

ちょっと温かそうな灯りが眼に飛び込んでくると、身体の方が

反応しちまいましてね、

八百屋のオヤジさんに、

「そこの野草みたいなのはなんだね」

「お客さんいいとこへ眼をつけたね、そのワケギは雪を掘って採って

きたヤツでおひたしにすると春の味がするんだよ」

で気がつくと、両手に紙袋ぶら下げて再びふらふらと寒中散歩へ、

冷たい空気の中を歩くと、気持ちはどんどん俯き加減になるもので、

おまけに考えることはマイナス思考、目に付くものはといえば

「あれ、この店いよいよ閉店か、わびしいな・・・」

それでも負けぬように気持ちを奮い立たせて再び寒中の町へ、

これは修行じゃありませんから、何時止めたって別段都合が悪い

わけじゃありませんよ、でも、自分で決めたことがたった一日で

挫折すると言うのも情けない話で、

「こんなことじゃ、あの海の前に立つことはできないぞ」

と、何度も、何度も

気持ちを奮い立たせるのでありますよ。

気がつけば、寒さは感じなくなっていた、

この分なら、数日身体を寒さに晒せば、案外いけるかもしれないな、

「待ってろよ、冬の海、そしてあの身を切るような西風よ」

あれ、なんだか温かそうじゃないかね、

「そんな寒いところに立っていないで、中へお入りになったら・・・」

ああ、ダメダ!、暖気の誘惑に負けてしまう、

ばかばかしいことは止めて、温かそうな方へ行っちまおうかな

揺れる心を、後ろから寒風が遮った、

「そんな根性じゃ海辺の寒風に会えないぞ」

「・・・・・」