相も変わらず三浦半島通いを続けています、

今までも毎週のように、鎌倉や逗子は訪ねているので

もう旅という気はしないのです。

それなのい何故こんなにも三浦半島に惹かれ続けるのだろう、

今は車のハンドルを握れば一時間もすれば三浦半島の何処かへ

到着できるほど至近の地になっているのに、その三浦半島は

まるで新しいモノを拒否するように昔のままを残し続けて

いるのです。

鎌倉から逗子を通り葉山を廻り秋谷あたりまで国道134号線は

海に沿って気持ちのよいドライブが出来るのですが、

秋谷を過ぎる辺りから道路は海から離れていき、もう車の窓からは

海を眺めることが出来なくなるのです、

この半島の道はひとたび国道を離れると、極端に道は狭まり

車を走らせるには躊躇させられほど、いや、車ではなく人間が歩く

だけに適した小路に変わっていくのです。

車を駐車場に止めると、歩き始めるのです、

海に沿った小路はやがて小さな港をいくつも訪ねることになる、

目の前は相模灘、江ノ島が小さく見える、

その後ろには箱根の山々、勿論雲が晴れれば富士が顔を出すでしょう、

夕暮れまで時間をやり過ごすことが出来た者たちは、

素晴らしい夕焼けに出会うに違いない、

久し振りに長井漁港を訪ねてみた、

七年前にも訪ねているが、ほとんどあの日がそのままそこにあった、

そう、それは奇跡と思われるほど変わらない景色があったのです、

東京であれば、七年の歳月はほとんど何処の街かわからないほど

変化を遂げている、

しかし、此処には変化などと呼ぶに相応しいものはないのです、

ああ、なんと麗しいことでしょうか、

変わらぬことの心地よさが此処には残されている、

一日の漁を終えた船が次々に戻ってくる、

旅人はただその一日をぼんやりと見つめているだけでいい、

やがて冬の夕暮れがやってくる、じっと佇んでいたことを

つい忘れていたことを思い出させたのは、冷たくなった海風だった、

もう少し歩いてみよう、歩き出せば身体が温かくなるさ、

新宿湾、漆山湾、を横目に荒井漁港で道は尽きる、

荒崎の岬の突端に登ると、伊豆の山々が手に取るように

目の前に並んでいる。

また一隻漁船が戻ってきた、

その船を出迎えているのは海鳥たち、

きっと大漁の気配を真っ先に察知したのだろう、

この海辺ではそれは珍しい景色ではない

毎日繰り返される日常そのものなのである、

都会人には目に触れない光景なのだろう、

もしかしたら、此処では日常のことでも旅人には

新鮮に映るのだろう、何度もシャッターを切ることが

そのことを思わせていた旅の途中のこと。