HP旅の途中を十数年続けてきた内容が、ある日突然消えて

しまいましてね。

四千数百日分の記録が消えてみると、

「まあ、人生なんてこんなもので、ある日突然終止符が打たれるものか」

と、もうHPは止めようと思っていたんです。

それでも旅をすることだけは止める必要はないわけで、

旅の終わったあとのことなど考えずに純粋に旅を楽しめば

いいだけだよと相変わらず旅の楽しさを満喫しておりましてね。

最近は車の旅から列車の旅に変えてみたおかげで、窓からの景色を

眺めたりしていると、以前訪ねた旅先での消えたはずの記録に変わって

記憶がふつふつと湧き出してくるではないですか。

「そうか、この記憶を辿るのも旅の楽しみ方になるかもしれないな」

今度は記憶が年齢とともに薄れていくことになるのだから、もっと老人力が

増えた時に、記録を見られたら人生楽しめるかも と 止せばいいのに

再び記録を付け始めたのですよ、

あれから丁度二ヶ月が過ぎました。

まだ若いのですかね、記憶が沢山残っていて、毎日書くことが楽しく

なりましてね、

HPなどというものは一瞬で消えることがわかりましたから

自分の人生が終わる前に、恥ずかしい文章は一瞬に消して逝くと

決めてみたら、あらあらなんと気楽な気分でしょうか。

さてと二年前の唐津くんちを訪ねた記憶の旅の始まりです。

福岡で用事を済ませると唐津街道を西に向かって走り出しておりました、

レンタカーはまるでエンジンの音のしないハイブリットカーである、

自動車にはもう何十台も乗り継いできましたが、

運転していてこんなに気持ちの高ぶらない車も珍しい、

多分、効率、燃費、排出ガス等を総合的に考えて計画すると

こういう車に行き着くのでしょう。

旅先で乗るのなら、別段不自由はしないけれど、私のように

毎日乗る者には、拷問に近い退屈さでありますな。

この車で、ワインディングロードを走る気にはならない

でしょうね。

ぶつぶつ言いながら退屈なドライブは一時間ばかりで

虹の松原を抜け、唐津の町に入った。

一度目は茶人の伯母のお供をして中里太郎右衛門氏の唐津焼の工房を

お訊ねした時、二度目はイカの活き造りに引き寄せられて呼子を訪ねた時、

そして三度目の訪問は、

「唐津くんち」だけは見逃さないで」と言われたことを忘れなかったための

祭旅になったわけで、この唐津くんちの時期は一年前でも予約のとれない

「旅館 洋々閣」さんに縁あってお誘いをいただけたことで今回の三度目の

唐津訪問が実現したのであります。

宿主の御主人から、唐津くんちについてたくさんのお話をお聞きすることが

出来ましたのも、人の縁あればこそで、鬼姫様を宿に置いて

私ひとり宿を飛び出したのでございます。

生きている間に一度は訪ねたかった 唐津くんち とは

唐津神社の秋季祭禮で、漆の一閑張りの曳山(やま)が、かつての城下町へ

繰り出すのですよ。

この曳山は現在は14町が所有しており、作成年代順に繰り出す順番が決められて

おり、そのコースも決まっておりますので、待ち構えていれば必ず見ることが

できると教えていただきましてね、

初日は唐津神社脇の曳山展示場に飾られている曳山が各町内に戻ってくると

教えられ、ひとつひとつ丁寧に見て廻りましょうかね、

それには、旧町名と曳山の関係を覚えておかないと、頭が混乱してしまいますよ

と教えていただき、パンフレットを片手にまずは刀町から、

 第1番 刀町曳山 「赤獅子」文政2年制作

 第2番 中町曳山 「青獅子」文政7年制作

 第3番 材木町曳山 「亀と浦島太郎」天保12年制作

 第4番 呉服町曳山 「九郎判官源義経の兜」天保15年制作

 第5番 魚屋町曳山 「鯛」弘化2年制作

 第6番 大石町曳山 「鳳凰丸」弘化3年制作

このあたりまでくるともう頭の中は混乱し始めてまいりますよ、

次はと

 第7番 新町曳山 「飛 龍」弘化3年制作

 第8番 本町曳山 「金獅子」弘化4年制作

 第9番 木綿町曳山 「武田信玄の兜」元治元年制作

 第10番 平野町曳山 「上杉謙信の兜」明治2年制作

 第11番 米屋町曳山 「酒呑童子と源頼光の兜」明治2年制作

 第12番 京町曳山 「珠取獅子」明治8年制作

 第13番 水主町曳山 「鯱」明治9年制作

 第14番 江川町曳山 「七宝丸」明治9年制作

やっとひとまわりする頃には歩き疲れて足が棒でございます。

なにしろ唐津くんちの祭礼の間は、通行規制がひかれるため、

行動はすべて徒歩になるわけでして、江戸時代に戻ってしまった

気分で祭りを楽しむのでありますよ。

ひとつひとつの曳山を別々に見て廻ると秩父や鹿沼の山車よりも

小さく感じましたが、14台がそろって曳き廻しが始まると

それはそれは見事な景観を表すのでしょう。

いったん宿に戻って腹ごしらえ、

アラの薄づくりにアラ鍋ですよ、唐津くんちには、アラが一番の御馳走に

なるとか、その味はもうこの世にこれ以上旨いものはなかろうという美味しさ、

相撲取りがこのアラを食べられる九州場所を一番楽しみにしているわけが

判ろうというものですよ。

2015年秋