「東京のヒトかね」
毎日畑を見廻るのが日課だという婆様が尋ねた、
「どうして東京だと判るのさ」
「乗ってきた車のナンバー見れば判るさ」
見事に実った柿を見つめながら
「あんたは若くていいな、そうやって何処へでも行かれるしな」
「そんなに若くはないよ」
「あたしの子供みたいなものさ」
大正生まれだというその婆様は昔のことを
つい昨日のように話し始めた。
今は柿の木ばかりの果樹園もかつては辺り一面桑畑だったという。
この辺りも昭和の初めごろまでは蚕が盛んだったという。
その蚕も何時しか需要が無くなると、生きるために模索が始まったという。
「あたしの親が岐阜の親戚から柿の木の苗木を貰ってきてここに
植えたのは確か昭和8年頃だったよ、そんなもの植えたって商売に
なるものかってみんなに笑われたんだよ」
試行錯誤が続いた、真夏の暑さの中での農薬散布は欠かせないと
判った、ほっとけば自然に実がなると思っていたのは間違いだった
来る年も来る年も害虫や病気との格闘だったという。
「今はこんなに実がなってるだろ、ここまでなるには親子二代の
手間がかかっているのさ」
そして、その柿の実をひとつよこしながら
「食べてみなよ、美味しいから」
「この集落から学校へ行ったのは10人いたんだよ、
今残ってるのは たった4人だ、随分長生きしたんだよね」
私はその婆様がくれた柿の実を大事にポケットにしまった。
あの最初の柿の木がこの集落にもたらされなかったら
秋の味覚は無かっただろう、
「それじゃな」
もうひとまわり畑を見廻ってくるとしっかりとした足取りで
歩いていった。
次の世代に確実なモノを残していった先人たちの
声が聞こえた気がした旅の途中のこと。
2021年10月31日 — 8:37 AM
散人様
何時もありがとうございます、コメント見ながら想像していますと、そこに行って、そこの空気、香り、笑いなど感じながら拝見することができる様になりました。
うちの姫もクスッと笑っていることもあり、急に何処か行きたい〜なんて言うこともあります。
(^^)
2021年10月31日 — 11:02 AM
森川さま
自由に旅することが当たり前だと思っていたことが流行り病の蔓延で全て不可能に
なってしまった二年間、
さて、どう過ごすか・・・
そうだ、記憶の旅なら可能ではないか、想像力を止めさせることは出来ないのですよ
何しろ旅の記憶だけは引き出しに溢れるほど残っておりましたので、少しづつたぐって
みると、これが結構楽しくてね、
クスッと笑っていただけたらこんなうれしいことはありませんよ、
この二年で歳を重ねましたが、品行方正の生活で持病の高血圧、中性脂肪が正常に戻り
身体の方は心配事が無くなりいつでも旅ができる準備は整っておりますよ、
世の中そう悪いことばかりじゃないと思えたら幸せなことかもしれませんね、
もうしばらく記憶の旅をお楽しみくださいませませ!!