元禄二年三月、それは西行が没して五百年目であった、

芭蕉は春霞たなびくなか白河の関を越えんものと

曾良と共に長途の旅へと歩を進めるのです。

七日ほど千住で逗留した後、いよいよみちのくに向かって

歩き始めた、

おくのほそ道の中では、草加に泊まったように記して

いるのですが、曾良旅日記には粕壁に第一日目の宿を

とり、二日目はそぼ降る雨の中、粕壁を出立し、

栗橋の関所を通っている、

(宿場町  幸手)

(幸宮神社 お旅所)

ということは、粕壁から杉戸宿を抜けさらに幸手宿を通ったはず、

幸手宿といえば、日光街道と日光御成道との合流点で、さらに

筑波道が分岐する交通の要衝としてかなりの繁栄をしていた

とのこと、本陣1、脇本陣1、旅籠27軒と日光街道の宿場としては

千住、宇都宮、越谷に次ぐ大きな宿場であったという。

先日、草加まで訪ねていたため、次は幸手宿を訪ねてみたいもの、

と旅ごころが疼き始めたところ、なんとその幸手で夏祭りが

始まっているとの話を聞きおよび浅草から東武電車(徒歩では

ありません トホ ホ)を乗り継いで早速やってまいりました

幸手宿。

駅を降りると、はて、随分静かじゃないですか、

客待ちのタクシーの運転手さんに聞いてみると、旧道沿いで

やっているとのこと、

空は今にも泣きだしそうな雨模様のお陰で暑さは凌げそうですよ、

つい早足になって旧道へ、最初に見つけたのは、

芭蕉翁と曾良の二人の姿、

その店で祭りのことを訊ねると、

かつては、田宮町または薩手と呼ばれ、元禄時代頃より幸手宿に

なったらしい、祭りはこの先に幸宮神社があり、その境内社に

大杉神社と八坂神社が鎮座、その八坂神社の祭礼がどうやら

今回の幸手夏祭りとのことと教えていただいた。

幸宮神社を訪ねると、境内はシーンと静まり返っている、

どうやら幸宮神社の宮神輿は仲ノ町のお仮屋に運ばれたとのこと、

仲ノ町を訪ねると、宮神輿は御仮屋の中に鎮座されておりました。

宮神輿渡御は七月十三日にすでに行われ、十七日と十八日が氏子町内から

出された山車が町内を曳き廻されるとのこと。

「夜になると山車の提灯に火が入り、それは見事なものだ」

と老役員さんから聞かされれば、何とか見たくなるというものですよ。

今のうちに腹ごしらえをと店を探せど、皆さん祭りにかかりっきりで

食事になかなかありつけないのですよ。

(荒宿の山車)

あちこち歩いてやっと見つけたお店は「たむらや」さん、

なんだか親近感を覚える店の名に思わず飛び込んでみれば

客はアタシひとり、

店主は揚げたてのとんかつを勧めてくれましてね、

いやいやその柔らかさと旨さにしばし時を忘れておりました。

さて、いよいよ夜の山車曳き廻しの始まる頃と店を出ると

各町内に置かれている山車を見て廻ります。

仲町の神功皇后様に一礼してさらに浅間神社のある荒宿へ

(路地から現れた東町山車)

山車の提灯に蝋燭が点され夜の山車巡行の準備が始っています。

若頭の声が飛ぶ、

「みんな集まってくれ、いよいよ花山目指して長丁場になるが

 気を入れて頑張ってくれ」

そして記念写真を写すと山車の前に勢ぞろい、

アレ、カメラマンがおりませんね、

すると美女があわてて

「アタシが写すんだった」

とやおらスマホをカザシテ カシャ!

「オイオイ、カメラってそれかよ」

とみんなの笑いが起きる、

周りを見回していると他にカメラを持っているのはアタシ独り

だけじゃないですか、

それでは記念に一枚、パチリ!

いよいよ山車が動き始めます、

先頭は手児舞姿の金棒役が二人、若頭の木の音を合図に

ギシギシと動き始めます。

此処の山車も先日伺った久喜と同じように、トンボと呼ばれる

梶棒を若衆達が操るのですが、角を曲がる時は、5,6人の若衆達が

トンボを力を合わせて持ち上げるのです、すると山車の前の車輪が

浮き上がり、後ろ車輪を軸に回転するという荒業ですよ、

同じ力を合わせるのですが、力の配分は横にではなく上に

引き上げるために使うのですな、山車の回し方にもその土地の

やり方がいろいろあるものなんですね。

各町内の山車も動き始めたようです、

そろそろ駅前広場に伺ってみましょうかね。

(大神町の記念写真)2016年7月記す