アタシ等がまだ洟垂れ小僧だった昭和30年代、

手塚治虫の「鉄腕アトム」に夢中になっておりましたね。

アトムが21世紀の未来に活躍する物語で、都会のビルの

間を立体道路が造られている姿に、

「こんなの夢の中の出来事だよ」

と想像力豊かな子供でも信じられなかったのですよ。

昭和39年(1964年)10月1日、東京に

日本橋~羽田空港の1号線、

銀座~芝公園の2号線、

隼町~霞が関の3号線、

日本橋~大手町~幡ヶ谷の4号線の、

計4路線が完成し、延長は31.8kmになった。

まさにあの鉄腕アトムの世界が現実になったのですよ。

東京オリンピック開催に間に合わせた道路は東京が近代都市に

なった象徴に思えましたね。

すでに昭和35年に自動車運転免許証を取得していたアタシは

その高速道路を夢中になって走り廻ったのですよ。

羽田空港への行き返り、横浜への行き返り、鎌倉への行き返り、

とどれほどこの道路を走ったことでしょうか。

首都高速道路と名のついた道路も、押し寄せる車の数に

渋滞が当たり前の低速道路になってしまったのは

皮肉なことでした、そんな渋滞の中で辺りを眺めていると

道路のはるか下に海が見えているのです、

いや海ではなく運河なんですね、

何千回も眺めていた運河の景色を

「そうだ、一度訪ねてみよう」

と思うのに50年もかかったというわけなんですよ。

浅草から直通でこられる京浜急行線に乗り、降りたのは

鮫洲駅、海を渡ってくる冬風は身を切るような冷たさに、

「訪ねる季節を間違えたな」

襟巻をきつく巻いて歩き出す、

京浜運河から分かれたその名は 勝島運河だと初めて

知るのです。

一日の仕事を終えた漁船が戻ってきたのだろうか、

東京にも漁師さんがいるのですよ。

護岸を歩くと、そこは花畑として利用されているらしい、

わずかな自然であっても、心がほっとするものですね。

かもめに交じって冬鳥たちもわずかだが運河が生活の場に

なっているらしい。

かつては汚染のひどかったその運河も、今は水質が良くなっている

らしいのです。

浮かぶ小舟には水質検査のための係官が寒空の下で検査を

続けておりました、

その調査する姿に、そっと頭を下げる。

一斉にカモメが飛び立つと、西の空が少しだけ茜に染まっていく

冬の早い夕暮れが始まっていた。

ここは人間の手による人工の海、

半世紀もすると、昔からそこにあり続けたように

都会の一部として景色に溶け込んでいるのですね。

車の運転から解放されてみれば、東京はまだまだ

面白い発見ができるものかな・・・