夏の夜を踊り明かす盆踊りは

言葉ではなく、目で、耳で、身体で表現することで営々と伝え

続けてきたこの国を代表する民族芸能でもあるのです。

遡れば念仏踊りに行き着くのかもしれませんが、

それよりも、鳴り響く太鼓の音に身体をよじり、

手を足を動かしている内にそれは自然発生的に踊りの形を作り出して

いったのでしょうね。

端縫の衣裳をまとい盆供養のために

夏の夜を舞う西馬音内盆踊りがあれば、

キツネが憑依した子供等が踊る姫島盆踊りがあり、

夏のひと月を踊り明かす郡上踊りがあれば、

圧倒的な民衆のパワーを見せ付ける阿波踊りがある。

遠くから風に乗って太鼓の音が聞こえてくると、人々は何となく

落ち着きがなくなり、その音のする方へ吸い込まれるように

集まってしまうのです。

提灯に彩られたその場所は、まるであの世の入り口を思わせる

日常とは異なる風が吹いているのです。

真ん中に据えられた櫓の上では若い衆が踊るように太鼓を打ち鳴らし、

聞きなれた歌が流れると、真っ先に小童たちが、そしてそれまで

遠巻きにしていた老人たちまでがまるで意志とは別の何かに

引き込まれるように踊り始めるのです。

やがて流行の格好の若者が思い切ってその踊りの輪の中に飛び込んで

きます、見よう見まねで手足を動かしている内に、何度も繰り返される

旋律に恍惚となっていく。

それは理屈では理解できない人間の本能へ太鼓の音が直に響き渡らせて

いるのでしょうかね。

踊りはやがて自分の意志とは関係なく見事な形を作り出していく、

鉢巻を巻いたオヤジは流れる汗を拭おうともせず

ただただ踊り続けている。

それはまるであの世から戻ってきた爺様や婆様が

一緒に踊っているかのよう、

いや、若者やオヤジの身体をあの世から

動かしているようにさえ感じるのです。

目の前の無我の表情で踊る人々を見つめていると

幕末の一時期、『ええじゃないか』という合言葉に

次から次へと踊り狂った民衆が伊勢へと押しかけたという

ことが起きたのは、もしかしたら、踊りの持つエネルギーが

民衆のこころをゆすぶり続けた結果のような気がしてきました。

現代でも若者からおじさんおばさんまで、あの強烈なビートの

大音量でヨサコイソーランが流れると我を忘れて踊り狂う

状況を見ていると、踊ることのエネルギーには凄まじい力が

あることを思い知らされるのです。

炭坑節が、東京音頭が、新平成音頭が流れるたびに

踊りの輪はいつまでもいつまでも無口のまま

大きくなっていくのでした。