駅を降りると、もう目の前から始まる参道は、

あの寅さんのお陰でいつも人波で溢れているのですが、

どうしたことか全く人影がありません。

時計を見るとまだ夕方の6時前、

参道の両側に並ぶお店は既に店仕舞い

それにしても早過ぎやしませんかね、

客が来ないから店を閉めたのか、

店を閉めたから客が来ないのかは

判りませんが、

見事なほど人影がありませんですよ。

浅草仲見世は定休日はありませんが、昔から日没店仕舞い

が当たり前でしたから、

もしかしたら柴又も日没とともに店を閉める習慣が

あるのかもしれませんね。

これはこれでいつもならごった返している参道に

人っ子ひとりいないというのも滅多にみられない

光景ですからね、アタシはひとりニンマリ

して我が道を行くがごとく歩き始めるのでありますよ。

帝釈様の山門は扉などありませんから、

何時訪れても出入り自由、

そもそも参拝が主で帰りに参道のお店で

ゆっくり楽しんでいくというのが

この町の楽しみ方なのですが、

やっぱり後の楽しみがないと寂しいものですね。

観光客の居なくなった参道には、

信心深い地元の方が夕方のお参りやってくるのです。

孫の手を引いた婆ちゃんは、見知らぬ旅人に微笑みながら

会釈をしてすれ違う、

買い物帰りの若い母親は自転車を止めて、

しばしの四方山話、

山門を潜れば其処はありがたい信仰の領域、

たったひとりで手を合わせる、

なにやら帝釈様を独り占めした気分でございます。

「ありがたや、アリガタヤ」

と気分が良くなったところで参道を戻りはじめる、

ここで だんご屋の暖簾を肩でかき分けすっと入るのが

楽しみで・・・

そうでした、もうみんな店仕舞いでしたっけ、

「ヤレヤレ、帰るとするか」

とえびす屋さんの前へくると、旅に行く若者をみんなで

見送っているんです。

「キップ持ったかい」

「生水飲むんじゃないよ」

いいですね、アタシもこういう見送りで旅が

したくなりましたよ。

アタシの旅はいつでも思い付き旅、

見送りなんてあるはずもなし、

あの寅さんだって さくらさんが駅まで見送って

くれておりましたっけ。

ああ、また 旅がしたくなりました。

そういう気にさせる町だったんですね、柴又は・・・