かつて日本人が好んだ景勝地は日本三景、

松島、天橋立、宮島 そこにあるのは日本人の

心の原点である 白砂青松、 

怒涛のように荒ぶる波ではなく穏やかな海を象徴する

海岸の美が誰もが好む景勝地であったのですが、

ここに面白い八景があることを知り、それは

明らかに昔の八景とは異なる景勝地が

選ばれているのです。

「日本八景」

あまり耳慣れぬ八景ではありますが、

日本中に旅行ブームが押し寄せた昭和の初めに

全国から投書された結果により

「日本八景」が選ばれたのです。

華厳滝(幸田露伴)
上高地(吉田絃二郎)
狩勝峠(河東碧梧桐)
室戸岬(田山花袋)
木曽川(北原白秋)
別府温泉(高浜虚子)
雲仙岳(菊池幽芳)
十和田湖(泉鏡花)

当代随一の文士たちがそれぞれの選ばれた

景勝地について名文を綴ったのですから

その影響力は相当のものだったでしょうね。

今こうして日光の地で避暑を楽しんでいると、

その選ばれた中に 華厳滝 があり幸田露伴が

どのように表現しているのかはとても

興味がわくのです。

これは東京に戻ったら神田神保町の古書街を

探す楽しみが増えましたよ。

さてと山の冷気をたっぷり吸い込んで

東京へ戻ると致しますか、

折角身体中に浴びた山の森の冷気をそのままに

高速道路を飛ばして戻るのも芸がありません、

旅は目的地だけに楽しみがあるのではなく、

その行き帰りの旅路にこそ旅のエキスが

詰まっているもので、

行きと帰りの道筋を変えるのは旅の鉄則なんで

ありますよ。

九十九折の山道を右に左にと運転を楽しみながら

大谷川の辺まで降りてくると迷わず足尾への道を選びます。

渡良瀬川に沿った桐生までの60kmの道のりは

日光からの帰り道としては旅の余韻を楽しむには

最良の道といえるでしょう。

かつては足尾の銅を運ぶ銅街道と異名をとり、

鉱毒事件を起した不幸の道も今は全く過疎地へと

変貌した足尾からの銅街道は窓を開けて走ると

途切れることなくヒグラシノ鳴き声が続いている。

そのヒグラシノ鳴き声は決まって杉の林から

聞こえてくる、

その杉の林が道路に沿って点々と続いているのです。

足尾の外れから聞こえ出したその鳴き声はとうとう

大間々の町に着くまで途切れることはなかった、

そうだ、

この道はこれからは「蜩街道」と名乗るがいい。

桐生の町はさらにシャッターの閉まった店が増えて

おりました。

もう昔の織物では再生できぬところまで追い込まれて

しまったのでしょうか。

大好きな町だけに一抹の寂しさを感じたのは蜩の鳴き声が

耳についてしまったからばかりではないようですね。

夕暮れの町を夏の少年とすれ違う、

その元気な少年の息遣いだけが救いのような気がした

旅の途中です。