『天保六花撰』

 登場するのは

 河内山宗俊
 片岡直次郎
 金子市之丞
 森田屋清蔵
 暗闇の丑松
 花魁三千歳 

もちろんこれは二代目松林伯円の創作にかかる講談なのですが、その後

歌舞伎の演目『天衣紛上野初花』 作:河竹 黙阿弥

として演じられたり、

アタシ等の子供の頃は娯楽の筆頭は映画、それも時代劇が花形だったのですよ、

映画館はどこも人で溢れ、ドアーが閉まらないほどで立ち見が当たり前でしたね、

嵐寛十郎の鞍馬天狗に拍手を送り、市川歌右衛門の旗本退屈男に夢中になって

いたのですよ。

(天保六花撰 流山出身 金子市之丞「貧民に恵みの場」
 昭和三十年夏百七十年忌記念 石井常吉彫刻)

確かあれは昭和35年頃だったと思いますが、この『天保六花撰』を題材にした

映画が封切りされましてね、

『天保六花撰 地獄の花道』なんていうおどろおどろしい題名に

子供心にもワクワクして映画館まで兄につれていってもらったことが

ありましてね、

その時の配役はうる覚えですが

 河内山宗俊を市川右太衛門

 金子市之丞を東千代之介

 三千歳を丘さとみ

 片岡直次郎を中村嘉葎雄

 森田屋清蔵を近衛十四郎

もう筋書きは覚えておりませんが、東千代之介の演じた優男金子市之丞が

やけに印象に残ってしまったんです。

子供こころにも映画の中の主人公は実在ではないだろうと

何となく想っていたのですが、ひょんなことで金子市之丞は実在の人だと

いうことがわかりましてね、それもアタシの住む町から江戸川つながりの

流山が生誕地だというのですよ、

好奇心が子供のままのオジサンは、お尻のあたりがむずむずし始め、

止せばいいのに、台風がやってくるという夕暮れの小雨の中、

その流山を訪ねたというわけですよ。

なに、前置きが長すぎましたか、それじゃ早速、流山へ・・・

旅の行きかえりに何度も通過してはいるのですが、ゆっくりと

流山の町を歩いたことがなかったのですよ、

旅心をくすぐるような可愛らしい電車に揺られて着いたのは

流鉄流山線の終着駅(いい響きですね)、流山駅。

江戸川にそった長細い町は、かつて水運で栄えた町、

アタシの旅先にはピッタリの町じゃありませんか、

駅員さんに金子市之丞のことを尋ねると、

「ああ、それなら閻魔堂の墓地にお墓がありますよ」

えっ!、本当に金子市之丞のお墓があったのですよ、

礼を言って、そぼ降る雨の中歩き出し、旧流山街道に突き当たる、

まだ、明治・大正の残り香がほんのりと残る旧道には

目印の看板もないのです、

蔵造りのお菓子や清水家さんでお話を聞く、

「金子市之丞は流山の酒造家金子屋の一人息子として生まれたが

 幼くして父親を亡くし、母との貧しい生活に耐えられず、

 盗賊にまで身を落としたのだという、しかし彼が狙いをつけたのは

 大金持ちの屋敷ばかり、その盗んだ金を貧窮している庶民に

 配った」というのですよ、

「それってねずみ小僧と同じじゃないですか」

やがて彼は掴まり、処刑されてしまうのですが、こころある人々は

彼の遺骨を密かに持ち帰り故郷流山に葬ったのです。

事実かどうかは確認の方法がありませんが、200年後の現代にまで

語り伝えられているということだけでも、胸のすく話じゃないですかね。

この国の未来に希望が持てなくなっている政治の貧困は

人々に膨大な格差をもたらしているのです。

平成の金子市之丞は現れませんかね・・・

教えられた閻魔堂には確かに金子市之丞の墓がいかにも大切に

扱われておりますよ、花が手向けられれ、

彼の隣には、一人で居るには寂しかろうと、後の人々が

あの吉原の花魁三千歳の墓まで置いているのです。

昔も今も、庶民の感情は変わりはしないのですよ、

大金持ちになるより、密やかでも幸せな日々を送れることが

どれほど安らぐか、彼の墓に手を合わせる。

秋の夕暮れはまるで時を急ぐ旅人、

流山は昔からうなぎが旨いと聞かされておりますので

見つけた渋目のうなぎ屋さんにふらりと立ち寄る、

これもまた旅の楽しみでございますな。

それにしても東京のこんな近くに江戸の風情を残す町が

あったのですね、また楽しみが増えました、

東京から30分もかからずにやってこられる流山、

またちょくちょく訪ねようと想いを深くした旅の途中でございます。

下総流山にて