“臥した牛に似た月山がその首を垂れて、
僅かにもたげた頭の部分を羽黒山と呼び、
観音浄土と称して この世 を現す。
またその背にあたるところを特に月山と呼び、
阿弥陀浄土と称して あの世 を現し、
その後脚を曲げた隠し所にあたる渓谷の温泉の
湧出する大岩石を胎蔵界大日如来の顕現する
ところとして湯殿山と呼び、弥勒浄土として
この世の 生まれかわり を現す。

この羽黒山、月山、湯殿山が謂わゆる出羽三山で、
三山を巡ることはひとたび この世 を去って 
あの世 に行き、この世に 生まれかわる ことを
意味する。
すなわち、この世にあって輪廻を味わうことで
これを 悟り といい、これを繰り返すことに
よって大いなる悟りに至るばかりか、わが国では
古来死者は山に行き、田の神となって農耕を助け、
やがてまた山に帰るという信仰があり、
これが祖先崇拝とも結びつくのである。”

森 敦著 「遥かなる月山」より

かつては神聖なあの世である山に行くためには

精進潔斎して小屋に籠もって男女の交わりを絶ち、

別火と称して肉類を料理した火も用いず、身を清め、

隊伍を組んで先達と称する山伏に導かれて山にはいる

のを恒例としておりました。

羽黒山信仰の最後のこころのよりどころとして、

再生を意味する湯殿山をつくり上げた先人の知恵に

あやかりたいという意識は、歳を重ねるに従って

強くなるものでしてね。

最初に出羽三山の神秘に触れたのは

、森 敦氏の「月山」を読んでからであります、

30年も前のことでしたから、還暦を超えて書き終えた

森 敦氏の心境は中々理解できませんでしたが、

あの雪に覆われた注連寺、そして羽黒山、月山を

訪ねる動機になったことは紛れも無い事実でしてね。

雪こそ消えた穏やかな山道を歩きながら、

月山を訪れましたが、

とてもそこが あの世 とは思えない穏やかな山稜に

ふと気が緩んだことを思い出しています。

「この道を行けば湯殿山神社へ行くのですよ」

と老人から教えられても、全く興味を覚えずそのまま

来た道を戻ってしまいましてね。

あれから30年、丁度森氏があの月山を書き上げた年齢に

自分もなってみますとなぜだか無性に湯殿山を訪ねたく

なりましてね。

もしかしたら、昨夜の中秋の名月が耳元で囁いた

のでしょうか・・・

広い駐車場には僅かばかりの車があるのみ、

やおら覚悟を決めて歩き出すと、バスが私の傍で止まった。

ドアーが開くと、山形訛りの運転者が声を掛けてくれた、

「上まで行くなら乗って生きなさいよ」

片道¥200をお払いして乗せていただく。

乗客はたった一人のバスは曲がりくねった山道を高みに向かって

エンジン音を唸らせていく。

「こんなに空いているんですか」

「この時間から登る方はいないですよ」

バスが到着したのは湯殿山神社の結界門前

「此処からは歩いていってください」

と優しい運転者の声に送られて歩きはじめる。

バスは参拝を終えた一組の老夫婦を乗せると来た道を

戻っていった。

あとは静寂の世界、鳥の声さえしない山道を独り歩く。

境内では跣(はだし)詣りと言って、

履物を脱がなければならない。

「あやにあやに、

 くすしく尊き湯殿の神のみ前におろがみまつる」

宮司が祝詞を唱えてご幣を振る。

これ以上は語るなかれ、

足裏が全てを感じ取っておりました。

芭蕉と曽良が出羽三山を訪ねたのは六月三日(新暦七月十九日)

 かたられぬゆとのにぬらす袂かな 桃青(芭蕉)

芭蕉の句碑を眺めながら、湯殿に素足をつける

間もなく月山は雪に覆われるのでしょう、

そこは紛れもなくあの世に変わるのでしょう、

温まった足裏にあの神秘の感覚を感じながらひとり歩く山道は

この世へ戻る希望の道に感じられた旅の途中です。

山形 湯殿山神社にて