門司港から小倉駅へ戻ってくると、まだ夕食にありついて

いないことに気付く。

夜の小倉は想像していたのとは大違いの城下町の雰囲気を

醸し出しているのです。

ホテルで聞いてきた料理屋は絶品の味、

勿論、生きのいいフグ刺しとやりイカを頬張る、

雲丹の和え炊き飯を店特性の辛子明太子を添えて食す。

ああ、なんという幸せか・・・

ホテルに戻ると、歩き回った疲れと、旨い食事の後の余韻を

感じながら朝までぐっすりと睡眠。

翌朝は抜けるような青空に目覚めが心地よい、

ホテルの21階から眺める小倉の街は東京と変わらない都会の姿を

見せている。

朝食前の朝の散歩、小倉も港があるのです。

松山行のフェリーの停泊している岸壁に、

アオサギと猫と釣りのオヤジのスリーショットをカメラに

納める。

朝の小倉はビルの間の小倉城が、かつての城下町を思わせるだけ。

昨夜の素晴らしい食事を思い出し、ホテルのフロントに

「この町には市場はありませんか」と尋ねると

丁寧に地図まで書いて教えてもらう。

昨夜の料亭の近くで「旦過市場」という。

小倉の市街地のど真ん中にそこだけ時代の異なるアーケードが

ぽっかりと口をあけている。

地元の人々が当たり前のように吸い込まれていく。

旅をすると各地の市場を訪ねる楽しみがあるのです、

金沢の近江市場、京都の錦市場、大阪の黒門市場、

そして築地市場などとは規模こそ異なるのですが、

人がすれ違うにも荷物を持っていると気を使うほどの路地に

鮮魚店、青果店、惣菜店、肉屋、乾物屋・・・

もうこの路地に紛れ込めば何でも手に入りそうな気分がしてきますよ。

最近は都会では大型スーパーやショッピングモールが当たり前、

そんな時代の変化をものともせず、小規模な店舗が軒を連ねている。

裸電球が点り、暖かさと郷愁を醸し出しているのですよ。

市場の雰囲気をカメラに収めていると、おばちゃんが声を

掛けてくださった。

「あんたどちらからきたと」

「東京の浅草からだよ」

「東京の人かね、ちょっとついてきなさんね」

市場はこの細い一本の道の両側だけかと思っていたのですが、

そのおばちゃんは店と店のわずかな脇を抜けると、なんとその奥にも

市場が広がっているじゃないですか。

「ここがアタシの店、この看板を写していってほしいのよ、

これむくの一枚板で大昔に作ったものなの、うちの宝物なんよ」

ずらりとならんだ看板を写させていただく。

「おばちゃん、この旦過市場のお勧めは・・・」

「ぬかみそ炊きやね」

「ぬかみそってぬかずけのおしんこのこと」

「江戸時代から伝わる郷土料理やね、ぬか漬けに使うぬか床のぬかを

 サバやイワシと一緒に炊き上げたものやね、臭みもないし、このあたりでは

 保存食や」

おばちゃんにお礼を言って鬼姫様を探すと、

鮮魚店にへばりついておりますよ。

ふぐ鍋用のふぐとアワビをクール便で送ってもらう交渉中、

まあ、これなら荷物を持たされなくて済みそうでほっとして

次なる店へ、

「大學堂」の看板に、はて何の店かとお聞きすると、

大學堂を運営しているのは、北九州市立大学人類学ゼミをコアに、

学生や市民が集まる「九州フィールドワーク研究会」なのだそうで、

週に1度くらいの頻度で、さまざまなミュージシャンがライブを行うかと

思うと、大學堂はご飯と汁物そして食べる場所を提供する、客は丼に盛られたご飯を

手に市場を歩き、店から食べたいモノをご飯に乗せてもらい、大學丼として

商品になるという仕組み。

旧い市場と若い大学生とのコラボが毎日繰り広げられているらしい。

東京御徒町のアメ横ほどの規模はなくても、此処には人の優しさと温もりが

あるのですね、今までは九州へ来ると博多にホテルをとっていたのですが

これからは小倉(ここにも素晴らしいホテルもあります)に宿をとることに

いたしましょう。

小倉から博多まで新幹線でたった15分なんですから。

(2018年11月 あの頃は自由に旅が出来ていたのです)