「東京のヒトかね」
毎日畑を見廻るのが日課だという婆様が尋ねた、
「どうして東京だと判るのさ」
「乗ってきた車のナンバー見れば判るさ」
見事に実った柿を見つめながら
「あんたは若くていいな、そうやって何処へでも行かれるしな」
「そんなに若くはないよ」
「あたしの子供みたいなものさ」
大正生まれだというその婆様は昔のことを
つい昨日のように話し始めた。
今は柿の木ばかりの果樹園もかつては辺り一面桑畑だったという。
この辺りも昭和の初めごろまでは蚕が盛んだったという。
その蚕も何時しか需要が無くなると、生きるために模索が始まったという。
「あたしの親が岐阜の親戚から柿の木の苗木を貰ってきてここに
植えたのは確か昭和8年頃だったよ、そんなもの植えたって商売に
なるものかってみんなに笑われたんだよ」
試行錯誤が続いた、真夏の暑さの中での農薬散布は欠かせないと
判った、ほっとけば自然に実がなると思っていたのは間違いだった
来る年も来る年も害虫や病気との格闘だったという。
「今はこんなに実がなってるだろ、ここまでなるには親子二代の
手間がかかっているのさ」
そして、その柿の実をひとつよこしながら
「食べてみなよ、美味しいから」
「この集落から学校へ行ったのは10人いたんだよ、
今残ってるのは たった4人だ、随分長生きしたんだよね」
私はその婆様がくれた柿の実を大事にポケットにしまった。
あの最初の柿の木がこの集落にもたらされなかったら
秋の味覚は無かっただろう、
「それじゃな」
もうひとまわり畑を見廻ってくるとしっかりとした足取りで
歩いていった。
次の世代に確実なモノを残していった先人たちの
声が聞こえた気がした旅の途中のこと。
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