ふるさととは自分の生まれた場所をいうのだろうけれど、

年を重ねてくると、自分だけの問題ではなくなり、

祖母や祖父の生まれた町や村がふるさとのように思えてくるのです、

特に都会で生活する者にとっては、ふるさと という響きは無性に

恋しくなるものでしてね、

今、自分のルーツを確認するには、戸籍を調べることが

当たり前ですが、

その戸籍も五代前まで判ればたいしたもので、そこから先は、

檀家寺の過去帳、墓石き刻まれた名前で辿るほか、

確認の方法がないのです。

特に母方のご先祖の調査ともなると、苗字が異なる上、

個人情報保護法によって個人の力では五代前までも

知ることは難しいのが現実なんですよ。

母のルーツを辿り始めたのはもうかれこれ三十年前のことに

なりましたが、

当時は祖母も叔父たちも元気でしたから、随分昔の話を

聞くことができ、その話の内容を確かめるために沢山の旅を

したものでした。

 特に東京では、関東大震災、3月10日の東京空襲によって、

役所自体が猛火にあい、戸籍事態が焼失するということに

なってしまったのです。

戸籍を調査していくと、矛盾が現れたり、明らかに間違いではないか

と想われることにもぶつかるでしょう、

それは、焼失した戸籍を復活させるために、自己申告という方法を

とったために確認できぬまま記載されたことによる矛盾だった

と想われるのです。

人は、生まれた場所で一生過ごすことができれば、

もしかしたら幸せなことかもしれません、

が、女性は結婚するとふるさとを後に旅の一生が始まるのです。

先祖達の後を追っていくと、

北は樺太、北海道から、南は九州まで

まさに人とは一生を旅する旅人なんだと気付くでしょう。

ですから、ふるさととは、生まれた場所ではなく、

生き続けた場所がその人のふるさとになる気がして

ならないのです。

下町深川で生まれた母は、ふるさとは深川だと信じておりましてね、

詮索好きの息子が、「田舎は北浦の辺りだったよ」

と知らせると、行った事もない場所はふるさとじゃないと

頑として認めなかったですね。

母の実母(祖母)が生まれたのは北浦の辺りの集落で、

生前よくその北浦の話を聞いていた私は、なんだかふるさとは

この北浦のような気がして訪ねた日のことは今も鮮明に

記憶に残っているんです。

祖母が遊んだという小船津、繁盛という地名、

ひと目で、ふるさとというイメージを絵に描いたような

鄙びた景色に、

「ふるさとに間違いない・・・」

と口に出して呟いたほどでした。

今回は、鹿嶋神宮の祭礼の後、その北浦を訪ねました、

まったく音の消えた水辺の向こうに今日の最後の紅色の空が

広がっていた。

婆ちゃんも、そのまた先代の婆ちゃんも、

みんなこの北浦の上に広がる空を眺めていたのかと想像すると、

訳もわからぬ涙が流れてしまった。

ふるさとは遠くにありて想うもの、

いや、人生の最終章が近づけば、やっぱり近くに行って

感じるものなのかもしれないですよ。

ふるさとはひとつだけじゃない、心の中に沢山ふるさとを

持つことができたらそれはそれで心が温かくなれるかもしれない。

旅を続けることで見つけられたご先祖様のふるさと

変わることなくそこにあり続けていることにそっと手を合わせた

旅の途中のことでございます。

北浦の辺りにて