もう随分昔のことになりました、

草津から六合村を抜け峠道にかかると山は燃えるような

紅葉にむせ返るようでした。

登りきった峠に旅姿の牧水が佇んでいた。名も寂し暮坂峠である

きものの尻をはしょり、股引に脚半、草鞋履き、頭に鳥打帽、

お気に入りだったあつらえのマント姿、

大正11年『枯野の旅』を残した時の牧水の旅姿である。

牧水はきままな放浪者ではない、彼の旅はあきらかに

生きるための糧を得る旅である、

言い換えれば旅からお金を得る旅のプロと云えるかもしれない。

25歳で信州を二ヶ月あまり旅をしたのがきっかけであったが、

その後、結婚や父の死によって遠出が出来なくなってしまう。

生まれた子供の名に 旅人 と名づけたのもその頃のこと。

本格的に旅が始まったのは三十歳を越えてからである。

東北各県をかわ切りに、京都、大坂、奈良、熊野、

上州伊香保、利根川上流域、そして毎月のように

犬吠崎、信州、上州磯部、榛名、九十九里、沼津、伊豆、

秩父、木曽、富士山麓、箱根、高松・・・

大正11年、牧水三十七歳の10月、信州から上州へそして

金精峠を越えて日光中禅寺湖を訪れている。その時の旅を

『みなかみ紀行』に残したのである。

その『みなかみ紀行』の文庫本をポケットに入れ、

晩秋の日光を訪ねた。

山は明らかにもう冬そのものであった、

たったひとりで眺める山の景観は、轟々と鳴る瀧の音の外には

何も聞こえない。

新緑の中で聞いた鳥達のさえずりも、夏の終わりに降るような

ヒグラシの大合唱も、すべてが静まり返った山の冷気に消えてしまっていた。

どれくらい佇んでいただろうか、冷え切った体が小刻みに震えていた。

お気に入りのその店は、変わることなく冷えた旅人を温かく

受け入れてくれるオアシスなのです。

「熱いコーヒーを」

「外はお寒いでしょ」

マスターは微笑をたやすことなく、香り高いコーヒーを

炒れてくれた。

瀧の音ももうこの部屋までは届いてこない、

そのコーヒーをひとくち飲み込むと

『みなかみ紀行』を読みふける、

牧水の後姿が現れては消えていく、

43歳のままの牧水はまだ旅を続けているのだろうか・・・