(平日の神社はいたって静かです)

HP「旅の途中」を立ち上げたのは確か2002年6月、

それから毎日書き続けてまいりましたが、その第一話は

湯島天神参拝から始まりましてね、その理由は

怨霊にまでなったという菅原道真公への興味でした。

(宵宮には中神輿が町内渡御)

それからは、道真公縁の神社を訪ね歩く旅が加わり

さらに祭礼へとのめり込んでいったのです。

九州太宰府天満宮、京都北野天満宮、関東は湯島はもとより

亀戸天神社、五條天神社、谷保天満宮、さらに常陸には

大生郷天満宮、那珂湊天満宮、鎌倉荏柄天神社など訪ね

歩いてまいりました。

(本日は4年に一度の 大祭)

実はアタシが毎日通う仕事場の近くに綾瀬北野神社があるのですが、

実に地味な社で、散歩の途中で立ち寄ってはいたのですが、

詳しいことが判らなかったのです。

仕事場に地元の方がおりますので、お聞きしたところ、

現在は綾瀬という地名になっておりますが、かつては普賢寺村といって

その総鎮守が北野神社だというのです、それも五百年前の創建と

のこと。

(宮司による祝詞奏上)

亀戸天神社が350年ですから、それよりもはるか昔から伝わっていた

ということになるわけで、俄然興味が沸き起こったというわけですよ。

その綾瀬北野神社では4年ごとに「大祭」が行われていると教えられ

その祭礼を待ちわびておりました。

宵宮に伺うと、神輿庫が開かれており、神社神輿が三基、宵宮では中神輿が

渡御するとのこと。

奉納金を納めて、本殿に参拝、

(氏子総代の発声でお神酒の乾杯)

(放鼓の儀)

さて大祭は朝8時からとのこと、天候を心配しましたが、青空が顔を出すと

いう上天気に、集まった氏子の皆さんも顔が綻んでおりますよ。

境内には神社神輿が置かれ、すでに御霊入れは昨夜済んでいるとのこと。

神官様の祝詞奏上が朝の清々しい空気の中に染みとおるように響きます。

(北野神社はやし連)

氏子世話人方の玉串奉納も無事終わり、氏子総代さんのご挨拶の中に

「かつての普賢寺村は大変広いので事故・怪我のないよう、氏子町内を

清めていただきたい」とのお話の中に、今でも普賢寺村は生きていることを

実感しておりました。

行政がいくら地名を変更しても、祭りになると旧地名が現れてくるのは

此処綾瀬だけのことではないのです、

各地の祭りに参加していると、祭りの参加町名は祭り人の半纏の襟に

旧町名がしっかりと残されているのです。

多分、祭りは先人達が残してくれたもの、古人と一緒に祭りを行って

いるという意思の現われなのかもしれませんですよ。

参加された祭り衆にお神酒が配られ、「乾杯!」の音頭で一気に飲み干すと、

いよいよ神輿の宮出しです。

神輿世話人の柝が鳴り響くと、一斉に神輿が上がった。

神楽殿からは祭り囃子が打ち鳴らされる、

実に美しい神輿振りです、

境内を半周すると、朝日に照らされて神輿が光り輝いています、

鳥居を潜ると、いよいよ氏子町内渡御の始まりです。

一日掛けての長丁場、後姿に拍手を送って、一度仕事先へ戻ります。

いやいや、平日の北野神社からは想像できなかった素晴らしい大祭で

ございます。

2016年 秋 記す。