2010年1月1日、永井荷風の著作権が消滅した、

だからと言って、荷風の作品の価値が落ちたわけではない、

本と言う実態無しに荷風の作品が読めることになったのである。

灯火を惜しむように、荷風の作品を読みふける、

『向島』に続いて『路地』を読む、

二度目であるが、荷風の年老いていく様は、自分もその年齢に

近づいてみると、妙にその寂寥感が迫ってくるのです。

二度と戻ることの無い時代への邂逅は、自分が訪ねられる一番身近な

場所へ佇むことで、気持ちを静めていたのでしょうか。

その場所こそが『路地』、

「・・・日陰の薄暗い路地は恰も渡船の物哀にして
 情味の深きに似てゐる。」

「・・・かくの如く路地は一種云ひがたき生活の悲哀の中に
 自から又深刻なる滑稽の情趣を伴はせた小説的世界である。」

と断定するように記している。

「二度と戻らない時代か・・・」

平成も二十八年が過ぎていきますよ、

アタシ等にとって、あの懐かしい昭和という時代は

何時の間にか遙か彼方に消えてしまっている、

昭和がどの時代よりよかったという顕彰は、後の人々が

決めてくれるでしょうが、

こうして記憶の中を彷徨っていると、その時は気づかなかった

ことが、走馬灯のように浮かび上がっては消えていく。

ふらりと入り込んだ路地は、そこだけ刻が止まっていた、

甲高い女の笑い声、

まだそこだけ灯りが漏れる窓、

半分剥がれかかったポスターがパタパタと風に揺れる、

スエタ匂いが鼻をつく、

肩を抱かれた酔いどれが、何度も壁にぶつかってはへたり込む、

みんな生きてるじゃないか・・・

路地の出口で老人とすれ違った、

「親父さん!」

声を掛けても、振り向こうとはしない、

聞こえなかったのかな、

もう一度

「親父さん!」

一度だけ振り向くと

「早く行け・・・」

とひとことだけ言い残すと、路地の向こうへ消えて行ってしまった、

「何処へ紛れ込んでしまったんだよ」

「カーン カーン! カーン!」

遠くで踏み切りの警報機が鳴っている、

「此処は今なのかい、それともあの昭和なのかい・・・」

目の前を羽田行きの電車がゴーゴーと通り過ぎている。