やっぱり青空はいいですね、こころが浮き立ってくるものね、

毎月18日は観音様のご縁日、そして来月の11日は一の酉、

浅草はそれでなくても毎日がお祭りみたいな町なのに、

修学旅行の学生さんに外国から観光客まで加わってごった返しの

昼下がりでございます。

いくら歌舞伎の舞台みたいな装置や見世物小屋を作ったって

その楽しみが伝わってこその人波がなければ

町は面白くもなんともなくなるもんでしょ。

どうして、浅草はこんなに人が集まってくるのでしょうか、

それはね、舞台の装置ではなく、血の通った人の温もりが

町の中に脈々と流れていて、老若男女誰が訪ねてきても

その温もりを感じることが出来るからではないですかね。

アタシはガキの頃からこの町をウロツイテ、当たり前だと

思っていることが、時代の方があまりクルクル変わっちまうから

その当たり前のことが、えらく心地よかったり、こころが和んだり

できるようになっているんですかね。

「おい散吉!お前まだそのウロウロするのが直っておらんのか」

「これはこれは仁王様、いや、別に、悪いことはしちゃいませんよ」

「どうも、お前さんの目つきが気になってな、」

「あれ、イヤですよ、そんな心の中まで覗いたりして、いえネ、

粋な御姐さんが気になって見とれていただけですから」

「近頃はな、不審者と見れば110番というのが合言葉なんだぞ

よーく注意するように」

「アリガタヤ、ありがたや、へい、十分気を付けて散歩にまいります」

やれやれ、そんなに目つきがイヤらしかったかな・・・

仁王様にお小言を言われちまって、もう少し足を伸ばそうかと思いましたが、

どうも近頃は何かと億劫になりましてね、まあ、歳からいえばもう十分爺の

仲間ですからね、

いくら気分だけは若者のつもりでももう無理が効かなくなりましたんでね、

なにしろ、365日休みなしにウロツクってぇのも、やってみると難行苦行

みたいでね、時々、気を抜かないと、そこらの地べたにバッタリなんてざまに

なると、あの源さんに

「だから云ったろ、歳を考えろ」

なんて鼻の穴膨らまして得意そうに意見されちまいますからね。

「ちょいと詰めてくれますか」

あんまり年寄りが気持ち良さそうに座っているんで、同じように

腰掛けてみますと、なんだかオノボリさんになった気分、

「何処から来なすったね」

隣の爺さまが間髪いれずに九州弁で尋ねてくる、

まさか地元ですなんて云えないでしょ、

「へい、茨城から・・・」

「そりゃ近いや、アタシは長崎から初めて浅草に来たよ

何のお祭りかね」

「さあ、えらい人出ですな」

並んで腰を掛けた目線で浅草を眺めていると、

浅草は誰でも受け入れてくれるやさしがあるってぇことが

判るんですね。

生き馬の目を抜く江戸の町浅草、

やっぱり、遠くからやって来た人は、その人いきれだけでも

疲れてしまうものなんですね、でもね、

疲れたら何処でも休めるし、小腹が空けば何処にでも美味しいモノが

出てくるし、土産だってピンからキリまで、荷物にすると重けりゃ

土産話にして持って帰っていただければ、孫にじっくり聞かせられますでしょ、

あのね、こんな穏やかな日を『浅草日和』って云うのですよ。

「浅草日和だったよ」

なんて土産話にひとつ付け加えてくださればうれしいですね。

記念に一枚爺ちゃんの写真を写させていただいた

浅草日和の夕暮れ散歩でございます。

(今年はアタシの年ですな、平成28年10月記す)