「格付け」とは、現在は企業の信用度や、ギャンブル

例えば競馬だとか競艇などの世界に公に導入されている

ランキングのことですが、

人間というのは自分の価値判断だけでは確信が持てないもので、

この格付けによってその取捨選択をしているものでしてね、

相撲などは、横綱、大関、関脇、小結、平幕などの格付けで

その実力を測ったりできるので、番狂わせが起きたりすると

妙に興奮するのは庶民の憂さ晴らしの代役になっったりして、

格付けもあんがい面白いものなんですよ。

この格付けは、今でも生活の中に浸透していて、

あのミシュランによる飲食店の格付けなどは

案外有難がられていたりして、

特に自分の責任を負わない選択技として受け入れられて

いるのかもしれませんですよ。

この格付けは、何も現代人の特徴ではありませんでね、

大昔から、神社の格付けなんてものが、国のお墨付きをいただいて

官幣大社とか、一之宮なんていう格付けが歴然と行われていたのですよ。

でも、いくら権威を面に出しても、庶民が受け入れない神社は

何時の間にか淘汰されていくのも世の習いなんですね、

もしかしたら、神社が盛大な例大祭を行うのは、いかに庶民に

受け入れられるかという意識が働いているのかもしれませんですよ。

今年は、その例大祭に随分あちこち巡ってまいりました、

そのご利益は、いくら医者に掛かっても平常に戻らなかった私の

中性脂肪値が正常値に戻ったのですよ。

医者も首を傾げる効果とは、多分、夏のあの猛暑の中、

神輿を追いかけ汗みどろになって歩き廻ったおかげで

きっと新陳代謝が促進されたのでしょうね、

要するに祭りとは、人間を心身共に元気にする効用が

あったということなんですな、

これを神様によるご利益と受止めても何の不都合もありませんでしょ。

さて、相変わらず前置きが長くなるのはいつものことで、

ご容赦くださいましな、

師走も半ばに差し掛かり、神様も正月前のひと休みかと御思いでしょ、

ところが、あに図らんや、師走にも係らず庶民に福を授けて下さる神様が

おられるのでございますよ。

武蔵國一宮、旧官幣大社 式内社 武蔵國足立郡 氷川神社

これくらい格付けが並ぶとそれだけで 

「ハハッ・・・」 と額づいてしまうでしょ、

そう12月10日はその氷川神社の大湯祭(11/30~12/9))なのでして、

庶民は毎年12月10日に本祭が行われるので十日市としてどっと参道へ

押し寄せるのでありますよ。

この日には福熊手が授与されるというので、その福熊手を求めて

境内に殺到するのですが、なにしろ数に限りがありますので、

その授与に間に合わなかった人々が、縁起物のだるまや熊手、

招き猫や破魔矢、破魔弓、絵馬に、はてはおかめひょっとこのお面まで、

何でも揃う露天を覗き込むのでありますな。

昨年は、まだ夕暮れ前の明るい内に参拝いたしましたが、

どうやら十日市は夜が本番らしく、鬼姫様をお誘いして

やってまいりました

大宮氷川神社十日市、今年は土曜日ということもあって

物凄い人波ですな

どうやら今宵は自由に歩けそうにはならなそうですよ、

露店のオヤジさん尋ねると

「今年はほどほどだね」

やれやれ、福笑いといかないところが、庶民の市でございますな。

それにしても「寒い!」、

いかにも師走の市に相応しいのはこの寒さかもしれませんですよ、

それでも、あっちの店、こっちの店を覗き込んでは、浅草あたりでは

もうほとんど見られなくなった、生物(ナマモノ)を売るオヤジさんに

「ざっこ て何だね・・・」

「クチボソのことだよ」

昔はきっと庶民のカルシウム不足を補ってくれていたんでしょうね、

今年もありました、鯉を目の前で捌いてくれるオヤジさん、

群馬からやってきた鍛冶屋のオヤジさんも健在でした、

神棚を扱う職人、唐辛子売り、イナゴや小魚の佃煮屋、

最近定番のクレープやお好み焼きだけじゃない売り物に

長く続いて欲しいと願っておりました。

売れるものだけが残るという経済原則が、此処だけは

罷り通らない市であって欲しいですね。

市とは庶民のものだと改めて確信した

十日市(とうかまち)の宵でございます。