南部十六ヶ町、東部十二ヶ町、西部十六ヶ町、合わせて44ヶ町

を練り歩く本社神輿各町渡御が行われるのは三社祭の最終日、

宮出し、宮入りは殺気だってる若衆に任せて、年寄りは町内神輿の宮入り

へと向かうのであります。

本日中日は、44ヶ町の氏子町内神輿が100基も練り歩くのですよ、

アタシのところは東部十二ヶ町ですが、もう毎度のことなので

ヨソサマのいなせな神輿担ぎを拝見させていただきました。

最近、物事を理屈や理論だけで理解しようという風潮が蔓延していると

思いませんかね

先人たちが何故『祭り』というエモイワレヌ楽しい方法を

作り出したのか考えるに丁度いい機会かもしれないと、その祭りの

真っ只中で考えてみたのですよ。

手間隙かけ、お金をかけ、全く見返りを求めないことに人々が熱中する、

そんなことが、祭りのほかに今の世の中にありますかね、

その祭りとは子供から大人、そして老人まで同じ空間に寄り合って、

夫々に出来ることを分担して、神様という全く目に見えない

摩訶不思議なことの為に夢中になれることなのですよ。

それじゃ何のために神輿を担ぐのかって・・・

そりゃ、神様の存在を頭で感じるのではなく、身体で感じる

ためなんですよ、

神様がお乗りになった神輿を三日間担いでごらんなさい、頭の中は

真っ白でも、肩に食い込む重さと痛さで、

「ああ、神様は本当におられるのだ」

とわかりますから。

よく突っ張ってる若い衆の中に

「オレは誰にも助けはかりねー、オレひとりで生きていくんだ」

なんて力んでるのがおりますがね、

「それじゃ、お前さん一人でその神輿を担いでみなよ」

ひとりじゃにっちもさっちも行きやしないからさ、

それがみんなで気合を入れて一気に差し上げると

どうですか、神輿が嬉しそうに見えるじゃないですかね。

一人じゃ出来ないことも、大勢なら可能になることを

知らぬうちに教えているんですよ、祭りというのはね。

あんまり屁理屈並べてると「うるせー爺だ!」

なんて追い出されそうなのでこのへんで打ち止めにして、

さてさて、お邪魔したのは、浅草中央町会の宮入り、

三社囃子が打ち鳴らされる中、町内を廻ってきた神輿がいよいよ

長会長始め、お偉方お揃いの町会所に戻ってきましたよ、

若頭が拍子木打ち鳴らし、

「さー来い!」とばかりに待ち受ける、

掛け声も勇ましく、まっつぐにピタリと所定の位置に決められるか・・・

「もう一度!」

路地の先まで戻された神輿が再び気をそろえて

「ソイヤ ソイヤ!」

「もう一度!」

「役員さん、入ってください」

「そうだ、来年は担げないかもしれねーよ」

もうヤケクソになって何度も何度も繰り返す神輿の宮入り、

最後に青年部の面々がかっちりと決めて無事宮入りが整いました。

若頭の音頭で 三本締め、

ああ、真夏のような暑さにみんなユデダコみたいに

なっちまいました、

「ああ、ツカレタ!」

「あと一日頑張るんだ!」

(2017年5月記す)