かつて私の住む地元の有志によって、二年に一度七夕の宵に

集い合う「有雅燈の会 」が開かれておりましてね、

其の席で祭り好きのアタシの誕生日を祝って、同じく

祭りの大好きなO婦人が

端縫の衣装に身をつつみ、静かに、そして優美に舞って

くださったことがありましてね。

彼女の佐渡おけさを踊る姿は何度か見せていただいて

おりましたが、その日の踊りは何と美しかったことか、

彼女の踊りに喝采を送ったあとでその踊りについていろいろ

教えていただいたのです。 

「これは西馬音内の盆踊りで踊られるのよ」

Oさんは毎年旧盆の十六日、この西馬音内の盆踊り に

通いつめていたというのです。

それからというのは、お目にかかる度にその 西馬音内の盆踊りの

お話を聞かせていただき、一度この眼で見てみたいと想い続けて

いたのです。

初めて目にする西馬音内盆踊りを観たのがドームの広場だったのです。

今年も東京ドームで西馬音内盆踊りが始まりました。

まずは衣装が目に付きます、

 端縫い衣装(はぬいいしょう)と呼ばれ、絹の端布を何枚か

 繋ぎ合わせ着物に仕立てるのだそうで、その色使い、組み合わせ

 には祖母から母へ そして娘たちへと大切に伝えられているという。

 帯は黒帯が多い、あの越中八尾の風の盆もそうでしたが、どこの家

 でも葬祭用の黒帯を締める方法がとられておりましたが、西馬音内でも

 そんな発想があったのでしょうか、しかし、結び方は踊るとその長く

 下げられた帯がゆらゆらと揺れるようにしているようです、

どうやらこの端縫い衣装を身に着けるのは大人の女性らしく、

若い娘たちは藍染めの浴衣で踊るようです。

さらに腰には しごき と呼ばれる色鮮やかな布を帯に着けて

踊ると揺れる様は、さんさ踊りを思わせますね。

さらに踊り手は子供の他はすべて顔をさらさないのです、

端縫い衣装の女性は独特の深編み笠を被る、その衣装との調和が

独特の艶を醸し出しているようです。

そして、ひときわ目を引くのが、黒い頭巾をすっぽりと被った

踊り手なんです。

日本の盆踊りは、あの世から戻ってきた先祖と一緒に踊るという

考え方が多く見られるのですが、これほど形に表すのは珍しい

ですね、この黒頭巾を彦三頭巾と呼んでおりましたが、

編み笠を被って踊るのが現生なら、彦三頭巾はどこからみても

あの世の世界を表していますよ。

能の世界でも、面を付けて現れるのがあの世の世界を表して

おりますが、日本人の信仰心を見る思いがいたしますね。

盆踊りですからお囃子がはいるのですが、この踊り手から想像して

あの越中おわら節のような旋律を予想しておりましたが、

始まってびっくり、

笛、大太鼓、小太鼓、三味線、鼓、鉦そして地口と呼ばれる歌い手が

秋田訛りの歌を披露、

 「西馬音内おなごは どこさえたたて 

  目に立つはずだんす 手つき見てたんせ 

  足つき見てたんせ 腰つき見てたんせ 」

 「いやよいやよは おなごの常だよ 

  なんなら試してみ 一寸引かたば

  五寸も寄てきて それでもいやだとさ 」

このちょっとエロチックな歌詞であの優雅な踊りを

踊るのですからしばらくはドキドキして見つめて

おりました。

なぜこの盆踊りの踊り手は顔を隠すのか・・・

盆踊りのルーツが大昔の 歌垣 にあると聞いたことがありますが、

艶めかしさを表現するには、顔を晒すことはできなかったのかも

しれませんね。

最後は「がんけ」という囃子歌

 「お盆恋しや かがり火恋し 

   まして踊子 なお恋し

  踊り踊らば 三十が盛り 

  三十過ぎれば その子が踊る 」

毎年旧盆の十六日からの三日間、かがり火を囲んで踊られる

という 西馬音内盆踊りは一度本場で味わいたいのですが、

丁度、その時期は東京深川富岡八幡の祭りと重なってしまうのです、

東京ドームで念願かなって観ることができただけでも よし と

いたしましょうかね。