六年前、東日本大震災がが東北各地に甚大な被害を
もたらしました。
その翌年、ここ東京ドームの「ふるさと祭り東京」に
参加してくれた 盛岡さんさ踊りの面々は
「どうか被災地を忘れないでください」と太鼓と踊りで
生きていることの素晴らしさを見せてくれました。
会場から盛大な拍手と歓声が沸き起こったことを
今でも忘れておりません。
そして昨年は熊本が大地震に見舞われてしまいました。
この国はつくづく災害から逃れられない国だと思い
知らされるのです
この国の自然災害は何も最近急に増えたわけではありません、
何百年も昔から地震、水害、火山の噴火と繰り返し起こって
いたのです。先人たちはその災害が起こるたびに、力を合わせ
何度も何度も立ち上がってその災害を乗り越えて今がある
のですね。
今年の東京ドームにはその熊本の天草から牛深ハイヤ節保存会の
皆さんが、「負けておらんぞ」とばかりに力強い踊りを
披露してくれました。
天草下島の最南端にある牛深は江戸の昔から天然の良港で、
長崎、薩摩、琉球への海運の中継地として、また漁船の往来も
盛んでたいそう賑わっていたといいます。
当時の船といえば帆船で船の運航は風次第だったわけで、
風待ちのために湊には多くの船が集まってきたんですね。
舵取りを任されていた船頭は、舵を握ってるあいだは眠ることも
許されず、公開中は歌を唄うことが義務ずけられていたといいます。
風待ちで湊に繋がれた間は、宴会が開かれ必ず唄が唄われるのですよ、
ハイヤエーハイヤ ハイヤで今朝出した船はエー
どこの港に サーマ 入れたやらエー
エーサ 牛深三度行きゃ三度裸 鍋釜売っても酒盛りゃしてこい
戻りにゃ本土瀬戸徒歩わたり
ハイヤエー来たかと 思えばまだ南風(はえ)の風ヨー
風さえ恋路の サーマ 邪魔をするエー
エーサ 黒島沖からやって来た 新造か白帆か白鷺か
よくよく見たればわが夫さまだい
これはご存知「牛深ハイヤ節」で、船頭さんたちがいろいろな歌詞を
作って唄っていたのでしょうね。
やがて、その牛深ハイヤ節は、湊から湊を渡り歩く船頭さんたちによって
日本各地に伝えられ、佐渡おけさ、青森あいや節、北海道ソーラン節、
そして阿波踊りまで影響を受けていたらしいのです。
さてその 牛深ハイヤ節がおまつり広場で行われるというので早速観に行って
みました。
三味線太鼓が早いテンポで始まると、いきなり
「ハイヤーエー」の底抜けに明るい調子で唄われる、
どこか南国のメロデイを思わせる旋律は、沖縄あたりの
影響があるのでしょうか、
浴衣姿の踊り手が踊りだすと、その踊る姿には暗さなど微塵もなく、
まさに阿波踊りの原型を思わせるものでした。
お囃子、唄も激しいけれど、踊りは圧巻ですよ、
かなりお年の踊り手さんもいつの間にか陶酔の境地に入り込んで
いくようじゃないですか、
本来、日本人は底抜けに明るい人種なのかもしれませんですよ、
日本人というと、侘びとか寂びなんてイメージを持たれることが
多いのですが、庶民の心の奥には根っからの陽気な感情が内燃していたのですよ、
これだけ明るく情熱的に唄われたからこそ、日本中の湊から湊へと
自然に伝わっていったにちがいありませんですよ。
ハイヤエー船は 出ていく帆掛けて走るエー
茶屋の娘が サーマ 出て招くエー
エーサ おーさやったとん届いたかい
届いて煮て吸って舌焼いたサイサイ
ハイヤエー瀬戸や 松島つけずにすぐにヨー
早く牛深に サーマ 入れてくれヨー
エーサ そこ行くねーちゃん汚れが伊達かい
汚れちゃおってもかんざしゃ銀だよ 銀のかんざし買うたか貰うたか
貰ちゃおっても買うたと言う
ハイヤエー沖の 瀬の瀬にドンと打つ波はエー
可愛い船頭さんの サーマ 度胸さだめヨー
エーサ 段々畑のさや豆は ひとさや走ればみな走る
私ゃお前さんについて走る
後の世まで残る民謡というのは、人間味あふれた恋の歌なんですね、
そういえば、八尾の風の盆も、最初はかなりきわどい歌詞で
男達のザレ歌が始まりだったといいます、
やがて、時代が磨きをかけて、いつのまにかみんながうっとりするような
唄と踊りに変わっていったという歴史がありますが、
この牛深ハイヤはどこまでも一直線に喜びを伝え続けるところが
多くの人々に今も喜ばれているのですね。
民謡とはまさに庶民の思いの丈がこもった国民唄だと改めて
思い知るのでありました。
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