以前から一度この目で直に感じてみたいと思っていた向島秋葉神社の
「鎮火祭」に伺うことができました。
夕方神社を訪ねるとお囃子の音が流れ、どうやら子供たちのために
町内の氏子衆が出店を開いておりますよ。
かつては江戸中の評判を呼び、とても賑わっていたとのこと、
そりゃ、江戸時代は火がでれば消すことができなかったのですから
何より火防に効き目のある秋葉神社の鎮火祭は絶大な信仰心に
ささえられていたのですね。
今は東京の祭りの中でも、実に地味で、昭和の匂いのする村の鎮守の
お祭りの気配を色濃く残しているあたりは、じーんと心に染みる祭り
でございますよ。いろいろ昔話をお聞きしていると、
「明日の午後、本殿で一年で一日だけご本尊の鎮まる扉が開けられて
鎮火式が行われるからぜひ来てみては」
と氏子の古老から声を掛けていただき、鎮火式は夜に催行されるものとばかり
思っておりましたので今宵は奉納囃子や奉納舞踊を楽しませていただき
明日もう一度出直すことにいたしました。
時間に遅れないように、浅草から歩いて秋葉神社へ、
本殿には氏子代表、地元に縁のある方々、が大勢詰めかけ、中でも
消防署関係の方がおられたことはいかにも火伏の神の神事であると
感じさせておりました。
昨夜の古老が、本殿の中まで入れてくださり、古式にのっとった
鎮火式を目の前で見ることができました。
笙(しょう)・篳篥(ひちりき)の音の流れる中、
お祓いを受け、宮司様の拝礼のあといよいよ奥の扉が開きます。
「低頭ください」
の声に頭を下げておりましたので、扉が開くところを
「ギギーッ ギギーッ!」という音だけで感じるのは
なかなか神秘的ありました。
顔をあげると、御本尊が現れているではないですか、
その姿は黒い輝きを発しているのです。
これ以上は明かすわけにはまいりませんので、もし
知りたい方は、一年待って、直にお参りされてみて
下さいね。
いよいよ秋葉大神に献饌の儀
米・神酒・餅・海の幸・山の幸がひとつひとつ禰宜さんから
神官へ、必ず手渡しされひとつひとつ供えられていく。
昨年、品川神社の「新嘗祭」や香取神宮の『大饗祭』を
見せていただいたことを思い出しながら、一つ一つの
所作を見つめております。
いよいよ宮司様が注連縄で飾られた香炉に火を灯すと、その火は
たちまちメラメラと燃え上がる、その瞬間、宮司が手にした器から
液体を振りかけると一瞬にして火が消えてしまった、
なんと見事な鎮火神事でしょうか。
鎮火を確認した後、宮司による鎮火祭祝詞が奏上される、
鎮火祝詞(ひしずめののりと)
高天原に神留座す 皇親神漏岐神呂美之命を以て 皇御孫命をば
豊葦原の水穂の国を安国と平けく所知食と 天下所寄奉し時に
事奉仍し 天津祝詞太祝詞の事を以て申さく 神伊左奈岐伊左奈美
の命 妹背二柱の神嫁継給ひて 国の八十国嶋の八十嶋を生給ひ
八百万の神等を生給ひて 麻奈弟子に火結の神を生給ひて 美保
止被焼て石隠座して 夜七日昼七日 吾をな見給ひぞ吾奈背の命と
申し給ひき 此七日には不足て隠座事奇とて見所行ず時に 火を
生給ひて 御保止を所焼座き如是時に 吾奈背の命の吾を見給ふ
なと申すを 吾を見阿波多し給ひつと申し給ひて 吾奈背の命は
上津国を所知食べし 吾は下津国を所知食んと申して石隠れ給ひ
て 與美津牧坂に至座て 所思食く 吾名妹の命の所知食す上津
国に 心悪子を生置て来ぬと宣て 返座て更に生子 水神 瓢
川菜 埴山姫 四種の物を生給ひて 此の心悪此の心荒ひそは
水 神 瓢 埴 山 姫 川 菜を持て鎮奉れと 事教へ悟給
ひき 依之て雑々の物を供て天津祝詞の太祝詞の事を以て
称辞竟奉くと申す
祝詞では 伊佐奈美命が火結神とこれを鎮めるべき神を産んだことを述べ、
その火結神のために称辞竟(たたへごと)を奉ると結んでおりました。
参列した人々がひとりひとり玉串をささげ、神事は無事終わりました。
江戸時代から続いているという鎮火式は、こうして厳かな中で
今も執り行われているのです。
お世話になった氏子の方々に御礼を述べ、古式ゆかしい神事が
続くことを願いながら神社をあとにいたします。
こういう場に居合わせると、つくづく日本人であることに誇りを
感じますよ。
(2015年秋 記す)
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