あてのない旅である、

「さて、どちらへ向かおうか」

神代桜はもういい、王仁塚の桜は雨の日がいい、

そうだ、富士川に沿って下ってみよう」

桜旅の行き先などはこの程度のきっかけがいいのですよ、

あまり期待に胸膨らませて一途に向かった時などは、

期待が大きければ大きいほど感動が少なくなるという

人間の感情表現は複雑なものでしてね。

桜を追い求めていけば、いづれは万葉の時代まで遡ることが

出来るのも、桜の持つ奥深さなのでありましてね、

道端に車を止め地図をみていると、南部町という地名を見つける、

「南部といえば、鎌倉時代の頼朝とともに戦った

南部三郎光行が与えられた土地であるはず・・・」

その後、奥州に移り南部藩を築いている、

そうか、南部藩発祥の地はここだったのか、

そんな歴史への興味から現在の南部町を訪ねてみた、

船山川に沿って道が続いている、昔、温泉行脚にのめり込み、

早川温泉、奈良田温泉、そしてこの船山川の上流にある

船山温泉などを訪ねた旅をふと思い出していた、

逆行に浮かび上がる河原の桜を眺めていると、

「この集落の中に大きな桜の樹があるんだよ」

と農作業を終えた老人が教えてくれた、

道を尋ねると、曲がりくねった集落をぬけ、

上りきった辺りにあるという、

みんなは「本郷の千年桜」と呼んでいるというのである。

その名を聞いただけで、期待が膨らんでしまった。

途中、道に迷っていると手書きの小さな看板を見つけた、

さらに道を登り詰め、左にカーブを曲がった先に突然その千年桜が

現れたのです。

「おーっ!」

思わず声が出てしまった。

千年とは思えないがそれでも気の遠くなるような月日を

生き延びてきたことをその姿が表していた。

この地域は昔から水害で何度もひどい目にあってきた地である、

この地に住む人々はその災害を乗り越えて何代にも渡って

生き続けてきたのです、

きっと、この桜もそんな危機を何度も乗り越えてきたのでしょう。

たったひとりでその大樹に向き合う、

まるで透き通るような白い花を無数にまとい、

天に向かって枝を伸ばし舞っている。

どれ程眺めていたのだろうか、よく見れば、枝の一部は折れている、

何度も受けた大風と大雨に傷つきながらも生き延びていたのか、

その大樹の周りを半周して其処に見たものは、

ほとんど洞になった中に、何本もの根がかたまって

地に刺さっている、

親桜がはらわたをえぐられた中に、その子や孫達が

根を伸ばして親桜を支えていたのです、

大抵の桜は百年もすると、幹は空洞化してくるのです、

この千年桜は空洞化した中に新たにヒコバエが成長して

根を伸ばし、その根を親桜が一枚の皮で包み込んで

いるのです、

私は神々しいものを見ているような気になってしまった。

多分五百年は下るまい、その永い命の営みの中に、

こんな生き方を身につけていたとは・・・

たった一本の桜の樹が、この山中で数百年もの間

生き続ける神秘を目の前にして

命の営みの凄さを思い知らされるのです。

がわは老樹であっても中身は若さ溢れる千年桜、

今咲いている花は、その若さの象徴なのかもしれませんよ、

桜樹は決してものを言わないが、命とは何かをきっぱりと

形にして見せ付けてくれるのですね。

たったひとりで見続けていた桜です。