どうやら道に迷ってしまったらしい、

「急ぐ旅でもないか・・・」

それにしても美しい集落が続くものだと、うっとりと

咲き始めた春の花々を見つめていると、

散歩に出てきたのだろうか一人の白髪の老婦人に出会ったのです、

何しろ人の姿のない道では、誰でもいいから声を掛けないと

迷った道から抜け出せない気分に陥っていたのです。

「あの、国道へ出るにはどちら行けばいいのですかね」

「さあ、あたしは運転をしないのであまりよくわからないのです」

折角お目にかかったのだからと、話題を変えた、

「それにしても花の美しいところですね、

 今この先の大きな櫻を見てきたところです」

「ああ、本郷の櫻ネ、ここにも立派な櫻がありますよ」

これは聞き捨てならないお話、

「その櫻ってどれほど経っているんですか」

「さあ、いつごろ誰が植えたのかわからないのです、きっと

大昔のことだと想いますよ」

「その櫻どちらですか」

「すぐその先ですからご案内いたしましょう」

「ここですよ」

目の前に大きなイトザクラが嫣然と立ち上がっていた。

「此処はお寺さんだったのですか」

「昔はあったのですが、なんですかよそのお寺と一緒になって

移ってしまったんです、いまはお墓とこの櫻が残っているだけ」

山門があっただろう階段を登ると、見事なアズマヒガンの大樹である、

平安時代に箱根山中で偶然見つかった枝垂れ櫻はその後京の都へ運ばれ

その優雅な姿が公達の好みに合ったのか、イトザクラと呼ばれ京の町中に

その優雅な姿を見せ付けたという。

何時の頃からだろうか、京のイトザクラを見てきた誰かが、

この御寺の墓地に櫻の苗を植えたのだろうか、

三百年だろうか、それとももっと昔だろうか、

それにしても、なんと勢いのある櫻だろう、

このくらいの大樹になれば、枝を支える添え木をつけるのが

普通なのですが、

そんな介護など必要ないとばかりに、枝を思い切り広げている。

「この櫻は早咲きなので、もう花は散ってしまいましたよ」

「いや、この姿を見られただけで十分です」

「先日、大風が吹いた日でした、

 まるで天に向かって花が散ったようでした」

その老婦人の言葉を聴きながら、その光景を思い描いておりました。

何時の間にか夕暮れが辺りに迫っていたことも忘れていたのです、

「ありがとうございます、

 お陰でこんな素晴らしい櫻を見ることができました」

「これからどちらまで・・・」

「さあ、道に迷ったついでですから、櫻に聞きながら

 行き先を決めて見ますよ」

「お花がおすきなんですね、どうぞいい旅を」

何度も何度も振り向いた、

もう老婦人の姿は薄闇に消えてしまった、

ただあの櫻だけが悠然と立ち続けておりました。

桜旅の本当の楽しみは何だろう、

桜に逢うこと、

いやいや、桜が結んでくれた人に逢うことかもしれない、

桜はいつだって、人を呼び寄せる力を持っているのです、

むかしも今もね。