かつて御春と呼ばれた城下町は今は三春と名を変え、櫻の咲く頃になると

その櫻を目指して多くの人々が訪ね来る、そう、あの「瀧櫻」のある町です。

小高い山がいくつも連なる町の北外れに一本の櫻があると聞いたのは、

もう随分昔のことでした。

それはあの「瀧櫻」とは異なる櫻でした、

「どこにも標識もないからな、大桜という地名を

  頼りに探すしかないんだよ」

その人の教えてくれた『大桜』という地名に反応してしまったのだろう、

何時の日か、必ず訪ねようと温めていた櫻に会いに行こう。

町の北の外れの小高い岡の上から 安達太良山が望めた、

「あの大桜へはこの路でいいのですかね」

畑仕事の手を休めると、その老人は丁寧に道順を教えてくれた。

「曲がり角に何の標識も無いから傍に行ったらもう一度尋ねるといい」

と見送りながらそう声を掛けてくれた。

「何でこんなに親切なのだろう」

バックミラーに小さくなっていく老人の姿にもう一度感謝を込めて

手を振った。

道野辺の小さな石の標識に大桜と記されていた、

桜ではなく地名なのです。

さらに細い山野辺の路を進むと、目の前にその大櫻が現れた。

「これだ!」

全く人の気配のない岡の上にその大櫻は何の迷いも無くすっくと

聳え立っていた。

近くに寄ると、その幹は洞のようにぽっかりと口を開けている。

「老櫻はな、我が身を食いながら生き続けるんじゃよ」

何時の間にかその老人が耳元で囁いた。

見ると小さな手押し車に酸素ボンベを乗せそこから伸びた管が

その老人の鼻へ伸びている。

「爺ちゃん、身体の具合良くないのか」

「ああ、何とか間に合っただよ、この櫻の咲くのにな」

二人でその櫻の下へ座り込むと

その老人は静かに語り始めた、

「この櫻は三春の殿様が町の四方に植えた桜のひとつでな、

 北の守りの櫻がこれじゃよ、昔から恐れ多いとこの辺りの者は

 誰も花見をせなんだよ」

「道理で誰もいないわけだ、爺ちゃんは毎年見られて殿様みたいだね」

 冗談のつもりだったのに、笑いは全く無かった。

「今年が見納めなんだよ・・・」

「何言ってるのさ、来年も見られるさ」

「わしもそう思っていたさ、でもな、身体の方がそこまで持たんのだよ」

「そんなに悪いのか」

「ああ、まあな、秋まではもたぬだろうよ」

「・・・・・」

「櫻はすごいな、あの洞の中にもう次の樹が育っとる、

 あれは一代だけの櫻 ではなく、子から孫へと一本に

 見える樹の中で命を受け渡しておるのじゃ、

  わしはあの姿を見てな、もう孫にも恵まれた人生を

 有難いと思えたんじゃよ」

「人間も同じということですね」

「ああ、あの大櫻もやがて400年になろう、わしらの先祖は

 もっと昔からこの地で生き続けておるんじゃよ、

 だから大櫻と何も変わらんのじゃ、そう思えたから

 今は穏やかな気持ちになれたのかもしれんよ」

「この大櫻が爺ちゃんと会わせてくれたんだね、今日のことは忘れないよ」

「ああ、ありがとな」

そして二人はそれからは何も語らずにいつまでもその大櫻を

眺め続けるのでした。

(三春にて)