春の声を聞くごとに雛を訪ねる旅が何時しか
恒例になってしまいました。
春は桜からと続けてきた桜旅の前に
ひとつ旅先が増えてしまったのは、
その楽しさの中に人の生き様が垣間見えたからに
違いありません。
ひいなの祭りに一番遠い存在のおじさんが
ひいなを訪ね歩くのは、そのひいなの
姿に魅せられてしまったことも確かですが、
そのひいなの持つ物語のひとつひとつに
惹き込まれてしまったからなのです。
この国が営々と続いてきた家を守るために、
それも女系家族であればなおさら、
聞くも涙の物語が沢山埋もれているからなのです。
そして、その女系家族だからこそ、
その物語の象徴として
雛人形達が、まるで涙とと共に失った悲しみを
背負い込むように残されてきた歴史を見せてくれるのです。
雛は只の人形から人の営みを全て守り通す
神の代理を務めてきたのかもしれない。
祈りを捧げられる対象として・・・
真壁、取手、土浦、江戸崎、古河、結城、館林、
松井田、小田原、勝浦、佐原、氏家、黒羽、日光等・・・
多くの町で雛飾りが再び見直されてきたのは、
単なる復古主義ではないでしょう、
ひいな達が自ら語り始めた言の葉のひとことひとことに
じっと耳を傾ける人たちが、そこに自分の人生を重ね始めた
結果なのだと。
初節句の祝いから始まった雛飾りは、
いつしかそこに生まれた物語を
聞いてみたくなる大人たちの雛祭りに
変化し始めている。
昔町の蔵の中から百年、二百年という刻を超えて
次々に現れ始めた古雛のあまりにも美しい姿が
人のこころを揺らし始めているのです。
生まれてくる子供が少なくなればなるほど、
この古雛が多くのことを語り始めるでしょう。
なぜなら、子供から大人へと変わりゆく人の一生を
蔵の中からじっと見つめていたのは、実はこの古雛たち
なのだから・・・
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