『啓蟄』を待っていたように

あの凍てつくような寒さは山の向こうへ

行ってしまったのでしょうか、温かな春の夕暮れです。

春を待っていたのは、春の陽気だけではなく

あの麗しき町真壁の雛祭りも無事に終わったようです。

ここ数日はすっかり天神様に気を奪われており、

せっかく真壁を訪ねるなら、あの大生郷天満宮で

教えられたあの文字を確かめようということも

含まれておりましてね。

『常陸羽鳥菅原神社之移
 菅原三郎景行景兼茂景茂等相共移
 従(筑波・霊地)下総豊田郡大生郷
 常陸下総菅原神社
  為菅原道真郷之菩薩供養也
  常陸介菅原景行所建也
     菅原三郎景行五十四才也
     菅原兼茂四十七才也
     菅原景茂三十才也
  菅公墓地 移従羽鳥
  定菅原景行常陸羽鳥之霊地墳墓也
  延長七年二月二十五日  』

雛祭りを終え、穏やか気配の漂う真壁の街、

「久し振りだね、お茶でも飲んでけば」

いつもの優しいもてなしに気持ちもほぐれます。

「あのさ、菅原道真を祀ったという伝承が羽鳥に

あるって聞いてきたんだけど」

「ああ、あるよ、羽鳥から大生郷へ移したんだから」

とまるで、昨日の出来事のように答えるのですよ。

「あれはたしか桃山中学の側だと思ったな、でも今は個人の土地だぞ」

何人かの人に同じ質問をすると、当たり前のように同じ答えなんです。

もう20年も通い続けていて、知らぬは私ばかりでした。

そうとわかれば、早速その場所へ、

ところが、どう探してもさっぱりその場所がわかりません、

たまたま、子供達が5,6人集まって遊んでいるので、

「この辺りに社(やしろ)はないかな」

「やしろってなんだ?」

側にいた若い母親に尋ねたが、そんな名前は聞いたことも無いとの返事、

あんなに皆が知っていると思っていた天神様は、その場所の近くまで

行っても判らずじまい。

「その先に、爺様がいるから聞いてみるといい」

そのお宅を訪ねると、その爺様が柔和な顔で丁寧に教えてくれました。

年寄りはみんな知っているのに、若い世代は全く知らないというのも

なんだか世代の断絶があるようで、戻ってくると、その子供達にも

教えてあげました。

「おじさん、それ何時頃のモノなの?」

「そうだな、1,100年くらい前かな」

子供達の頭の上に?、?、?が飛び交っておりました。

坂道を登った先に見つけたのは、丸い古墳状の塚、

夏であったら、雑草に囲まれて見つけられなかった

かもしれません、

真壁教育委員会の立てた標識に、『天神塚古墳』とあり、

その古墳の上には小さな石の社、どなたかが参った跡がはっきりと

残されておりますよ。

大きな木は桜で、その塚の周りには梅の木がまるでここは

天満宮であることの証のようにつぶらな花を咲かせている。

ここ真壁羽鳥の地に、菅原三郎景行が道真公の遺骨を埋葬した

という伝承は1,100年後の現代にもはっきりと語り継がれて

おりました。

この塚から眺めると、目の前には筑波山がすっくと立ち上がり

それはそれは神の見守る景勝の地でありますよ、

しかし、菅原三郎景行はたった三年でここから

先日訪ねた大生郷へと父道真の遺骨を移したのです。

そこにはどんな理由があったのでしょうか、

全ては歴史の彼方のこと、

真壁の人々が今も、天神様を最初に祀ったのはここ真壁の

地なんだという千年以上に渡って伝え続けられた伝承は

きっと、これからも変わることはないでしょう。

私の常陸野天神めぐりの旅は、とどのつまり通いなれた真壁の地に

辿り着いてしまいました。

さらに、そこで聞いた話は、平将門と菅原道真との因縁の関係、

やれやれ、えらい街ですよ真壁は・・・

新しい命の誕生を喜ぶように新しい雛壇がひとつ増えておりました、

あの娘はこの街で、どんな花を咲かせてくれるのでしょうか、

真壁の町には和の風がそよそよと吹いておりました。