梅の香に誘われて訪ねた曽我の地は、平日の夕暮れとあって

静かな刻が流れておりますよ。

この地に梅の木が植えられたのは、その実を採るためであったと

瑞雲寺で出会った老夫婦は話してくださった、それでももう

600年の昔のことであるという。

多分、争いに明け暮れていたその時代、

「腹が減っては戦が出来ぬ」

と戦場での食料を携帯するために

梅の実(梅干)が必需品であったのでしょう、

実を採るために剪定された梅の木はそのほとんどが

人の背の高さに抑えられている。

梅は実を採る以外に、その美しい花と馥郁とした香りは

万葉の時代から大切にされてきた花の木でもあったのですから、

これだけの梅の木が集まれば、その花を愛でる人々が

集まってくるのは当前のことかもしれませんね。

40年ほど前から、梅の花の咲く季節に、梅祭りが行われるように

なったのも自然な発想なのでしょう。

瑞雲寺に設えられた茶店で、その老夫婦と共にお抹茶をいただく。

そっと添えられた梅が枝が趣を深くしてくれますよ。

袖振り合うも多生の縁と話が弾む、

「ところで、此処曽我の地は、あの曽我兄弟が若き日を

送った地なんですよ」

「富士の裾野の敵討ちですね」

「ええ、その兄弟のお墓もありますよ」

梅の木の下で交わす話にしては、ちと生臭いことですが、

まあ、800年も前の出来事ですから、お許しくださいな。

『曽我兄弟の敵討ち』と云っても、もう今の若い人たちには

何のことやら判らないと思いますが、歌舞伎の題材に取り上げられ、

浮世絵に描かれ、果ては、凧の絵に、子供達のメンコの絵柄にまで

描かれた日本人の心を揺さぶり続けた出来事だったのですよ。

八百年も前のことが、延々と伝え続けられている伝説とは

何でしょうか、それは時代がいくら代わろうとも、その人間の持つ

本質は変わらないことを、伝え続けてきた人々は、選り分けていたと

いうことの証なのでしょうね。

(宗我神社)

「兄の曽我十郎祐成には虎女という妻がおりましてね、

その虎女が、討ち死にした十郎祐成の想いを伝え続けたと・・・」

「虎御前ですね」

「ご存知でしたか、虎女はこの丘の向こうの大磯で曽我兄弟を弔い

出家したと伝わっております」

老夫婦は、まるで今会ってきたかのように話してくださった。

「八百年ですか、途方もない永さですね、それでも人から人へ

伝え続けることで今の世にまで残すことができるのですね」

すっかり話しに夢中になっておりました、

「曽我という地を、もう少しこの目で確かめたくなりました」

老夫婦に別れを告げ、教えていただいた曽我神社、城前寺を

巡ってみました、

今日の陽が箱根連山に沈んでいく、

あの曽我の兄弟もこの地から同じ沈み行く陽を見つめていたのでしょうか。

旅の持つ不思議な出会いは、時空を越えていくことを

あらためて感じていた旅の途中のことでございます。

(小田原 曽我梅林にて)